fc2ブログ
  武骨な男に相応しい酒道楽の小道具
この世に生を受け、生まれて初めて武骨な男と言われたのは26歳の時、「私は用がある」と告げ、職場の宴会を途中で抜け出した時からのことだった。自分を和製ミック・ジャガーと信じ、人にへつらうのを極端に嫌い何かあるとことごとく上司や先輩に逆らい翻意を示した。また同僚ともあまりコンタクトを取らなかった。まして上司にお使い物をすることなどは生まれてこのかたやったことがなかった。

それは或る上司が現場に陣中見舞いに訪れた時だった。上司から酒を授かったが「私は酒を飲まない(当時は今のように晩酌する習慣がなかった)ので他の同僚や後輩に廻します」と答えた。『…なんと可愛げのない奴だろう。。』その上司は苦虫を潰したような表情を示した。もちろん冷や飯を食わせられた。この上司からみれば私はまさに目の上のたんこぶのような存在だったに違いない。このようなことを繰り返しているうちにいつの間にか周囲から浮き、私は無頼の一匹狼となっていった。

サラリーマンの世界は個人個人の気持ちで繋がっていて、実力などは二の次、世の中の摂理でもあるコネの重要さに気付いた時は既に五十を越えていた。これは若い頃の内向的な性格がたたったからなのかも知れない。内向的ゆえに拒否反応が半端でなかった。自分にバリアを張り、一切他人を寄せ付けなかった。このつけが中年になってから一気に廻ってきたのである。

今となってこの過ちに気づいてももう遅い。けして自慢ではないが真四角で武骨な生き様こそが私の宿命と覚悟している。一昨日息子と墓参りに行った帰りにそんな武骨者にぴったりの徳利と盃を見つけた。徳利のほうは四角ばったデザインでガンメタリックのような色合い、猪口は野趣に溢れた漆黒である。九連休三日目の今日はこの徳利と猪口を用いた如何にも武骨な男らしい晩酌と相成った。

私は今まで様々な摩擦とともに人生を歩み、多くの人々から後ろ指を差されて生きてきた。しかし後悔はしていない。後悔するのは己が後ずさりしたときのみと心得ている。

これからもけして後ろに下がるまい。武骨者の盆休みは始まったばかりである。今生の憂いを断ち切るため酒に逃れるもの悪くあるまい。台風も過ぎ去ったばかりの今宵、私は冷えた辛口の酒を並々と猪口に注いだ。
関連記事

トラックバック

トラックバック URL
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)