fc2ブログ
 1614年8月7日、ハバナを出港する
きょうは久しぶりに慶長遣欧使節団(伊達政宗が欧州に関する記事をお届けする。メキシコでの使節団の足跡については私の歴史小説「金色の九曜紋とともに」に詳しく著しているので興味のあるかたはご覧頂きたい。
これは支倉が入港した時の少し前のメキシコのアカプルコ港である。まだ開港したばかりで非常に殺風景であるのが印象的である。

宮城県石巻市「サンファン館」展示パネルより。これはアカプルコ入港時の使節団の想像図である。左から三人目の刀を差した人物が支倉常長である。

一行は形式上は来賓として向かい入れられたが、現地でのトラブルで多くの侍が刀を奪われたり、副王(スペイン国王代理)には、のらりくらりとかわされて目的である仙台藩とメキシコの直接貿易の締結には至らなかった。

一行はプエブラでこのような闘牛にも招待を受け、来賓として振舞ったと言われている。彼らは闘牛を見た初の日本人であったのかも知れない。

※中央左:交渉役(宣教師)のルイス・ソテロ、右:支倉常長

1614年1月、太平洋に面するアカプルコに入港した一行は約半年かかって陸路を経て大西洋岸のベラクルスに到着、ベラクルスを出港したのは同年の7月22日であった。そしてキューバのハバナには数日で到着したと見られる。

以下ミック歴史小説「金色の九曜紋とともに」より抜粋

1614年7月22日、支倉常長率いる30名ほどの使節団(伊達政宗が派遣した慶長遣欧使節団)を乗せた船団は本国のスペインを目指し、メキシコのベラクルス港を出港した。この航海が一般の航海と異なるのは出航時期が三ヶ月ほど後ろにずれていたことであった。北半球ではそろそろハリケーンが猛威を振るう時期に差し掛かってきていた時期であり、リスクと隣り合わせの航海であるのは誰の目にも明らかであった。もしハリケーンの牙に掛かるようなことがあれば万事休すことになる。

しかし支倉は主君である伊達政宗への忠義を貫くには例え嵐の中でもこの危険な航海に立ち向かわねばならなかった。船団はスペインとメキシコを結ぶ中継基地であるキューバに到達する前に嵐に遭遇した。この嵐をなんとかやり過ごした一行は数日後にはキューバのハバナに入港し、二週間ほど滞在した。

1492年コロンブスの第一次航海によった発見されたキューバ島にはタイノと呼ばれる先住民がいたが、1511年スペイン軍によって征服され、スペインとメキシコの中継、補給地点としての重要な役割を担い、17世紀に向け著しく発展を遂げようとしていた。

※現在のハバナ港(画像はインターネットより)

中継基地ハバナでこうして物資や食料、水を補給し、英気を養った支倉ら一行はサン・ヨセフ号に乗り組み、1614年8月7日にスペイン本国を目指し二ヶ月間に渡る大西洋航路へと出港した。

      熱帯の異郷の空を見上げるように立つ支倉常長の銅像


※夜明けを迎えたハバナ港。思わずため息が出るほど美しい。わずかな滞在期間であったが、支倉もこのような感動的なハバナ港の演出に酔ったのでないだろうか?

ここからのスペイン本国を目指す航海は二ヶ月に及ぶ。この二ヶ月は七年間に及ぶ一行の足跡の中では最も記録の少ない時期である。数度のハリケーンとの遭遇を経て一行が無事にサンルーカル・デ・バラメダに到達したのは1614年10月5日のことだった。
関連記事

トラックバック

トラックバック URL
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)