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 木枯し紋次郎オープニング 
  エッセイ「木枯し紋次郎と私」
最近、笹沢左保の往年の名作「木枯し紋次郎」シリーズを数作読んだ。このシリーズは完全なフィクションであるが多くの時代小説の類に漏れず、一度ハマると癖になるような快感を伴い、シリーズ中の他の作品も連続して読みたくなるほど強く興味を引かれるものである。きょうは紋次郎の魅力について述べたい。

彼は作品の中で堅気でない渡世人という境遇であり、一見やくざを想像するがそうでもない。彼の生き方を正確に描写するなら孤高な一匹狼という言葉がもっとも適切である。一匹狼は以前から某の自覚するものなので、同じ境遇の身としてここに強く惹かれるのである。

多くのかたがご存知のとおり紋次郎は寡黙な人物であるが、少ないセリフの中で非常にインパクトの強い言葉が存在する。代表的なものでは「あっしには関わりのねえことでござんす」とか「堅気衆にお教えできるような名は持ち合わせてござんせん」といったところである。

一見クールで感情がないとも思える紋次郎だが、ストーリーの進行とともに変化していくものとなる。紋次郎はいつも自分の意志とは裏腹に徐々に事件に巻き込まれ、振り払い切れないしがらみに纒わりつかれるのである。紋次郎は消して自分から手は出さないし、口先だけの挑発にも乗らない。刀(長脇差)を抜くのは相手から斬りかかられた場合のみである。しかしこれは正確な言い方でない。彼は出来る相手(剣術に優れた相手)が斬りかかってきたときのみ刀を抜くのである。

そして刀を抜いた時に、これまで人間離れした無機質な神経の持ち主と思われていた彼にも感情が存在するのに気づくのである。やはり彼も血のかよった人間だったのだ。某はここに逆の意味で胸を撫で下ろす次第である。

相手の腕が取るに足らない時は峰打ち(刀の刃の反対方向で打つこと)や鞘打ち(刀の鞘ごと相手を打つこと)によって無用な殺生を避けるようにしているのである。但しこの峰打ちや鞘打ちの破壊力はただものでない。もし肩に入れば肩の骨を粉砕し、脇腹に入れば肋骨を折るほど威力があるのである。このような重い刀には何か秘密があるにほかならない。実は彼の愛用している変わった長脇差は全作品の中で「錆朱色の鞘を鉄環と鉄鐺(てつこじり)で固めた半太刀拵え」という注釈が書き添えられている。これは一体どんな長脇差なのだろうか?論より証拠、インターネットから借用した紋次郎の長脇差のレプリカをご覧頂きたい。

鉄環とは鞘に二つほど付いている鉄の輪っか、鉄鐺とは鞘の先端部(写真では白い部分)のことである。恐らくこの長脇差は普通の刀よりも相当重いのでないだろうか?逆に言えばパワーがないと振り回せないとも言えるものである。従って紋次郎は単にテクニックのみでなく、パワー(瞬発力)にも秀でたものがあると伺いとることができるのである。また上の写真に写っている縞模様の道中合羽も紋次郎のトレードマークとなっている。

ところで昨今の某はこの紋次郎の格好をファッションに取り入れている。綿の開襟シャツは紺と白の縦縞で紋次郎の道中合羽を多分に意識したものである。それと万年筆も紋次郎の長脇差と同じ色の錆朱色である。紋次郎の武器が長脇差であるならば、某の武器はペンである。

自分はこのペンを武器に、これからも殺伐とした無宿渡世の道を突き進んでいくことだろう。
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