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 樅ノ木は残ったハイライトシーンその2
山本周五郎原作NHK大河ドラマ「樅ノ木は残った」、本日は前回に引き続きそのハイライトシーンその2についてお伝えする。今回も読者の皆様への便宜を図り、主な配役を掲載する。

これは主人公の原田甲斐がある晩、首謀者の伊達兵部を訪ねるシーンである。大老酒井雅楽頭と組んで仙台藩のっとりを企てた兵部は幼君の亀千代(仙台藩四代目藩主)の毒殺を図るが失敗(かつて甲斐の家臣であった者が亀千代の毒見役を買って出て毒にあたり殉死)に及ぶ。

事件のあった夜、兵部の江戸屋敷に駆けつけた甲斐(左)はこう告げた「きょう、亀千代ぎみのところで食中毒があったと聞き及びました」すると兵部は我が耳を疑いながらこう言った。「今なんと申した、食中毒と申したか?」

亀千代毒殺計画は全て兵部の仕組んだ陰謀(主君亡き後の仙台藩を乗っ取る魂胆)であり、既に口封じも兼ね毒をもった医者を切腹に処した後だけに、このような思いもよらぬ甲斐の言葉を聞きやはりこの男は信用に価する男だと思ったのである。

もちろんこれも甲斐の芝居(如何にも自分は兵部の味方であると思わせるゆえの策略)であった。

実は甲斐は酒井雅楽頭邸に間者(スパイ)を送り込んでいた。黒田玄四郎こと中黒達弥である。

甲斐はあることで切腹しようとしていた家臣の玄四郎にこう言った。
「人間死ぬのは簡単だ。生きることのほうがずっと大変だ」
「…」
「そちの命を私にくれぬか?」
主君のこの問いに玄四郎は武士らしく一言「承知しました」とだけ答えた。

足軽身分として酒井雅楽頭に入り込むことに成功した玄四郎はある女を使って雅楽頭と兵部の密約書(仙台藩内紛不祥事を理由に伊達六十二万石を召し上げ、兵部に半分の三十万石を与えるとの書状)を盗み出すことに成功した。

※密約書を手に取り「よくやった」と玄四郎の労を讃える甲斐。

書状はこのように明らかに酒井雅楽頭と伊達兵部の著名が確認できるものであった。これで流れが甲斐の側に優位に傾くことになる。

これは老中、久世大和守(左)(役者:岡田英次)と大老、酒井雅楽頭(役者:北大路欣也)の密談である。
この密談の前に久世大和守の屋敷を訪ねた甲斐はこの密約書を久世候に見せ、彼らの企みを暴いていた。

格上の大老(筆頭老中)に「このような私利が絡んだ場合、そこもと(貴殿)の大義が立たなくなる」と詰め寄る久世大和守。その厳しい表情には例え誰だろうが筋の通らないことはまかりならぬという戒めの心さえ感じる。

天下の大老でも不正は認めぬという厳しい表情を見せる久世大和守。君子のような毅然たる態度が印象的である。「外様大名取り潰しは幕府内々の方針なれど、筋の通らない取り潰しは避けるべし」彼にはこのような不動の信念があった。

寛文11年(1671年)3月27日、追い込まれた雅楽頭によって仙台藩士五名の殺害が決定されるに至る。酒井雅楽頭屋敷に幕府の殺陣が入り、凶刃に及び原田甲斐、伊達安芸らが次々と斬られた。この時、甲斐の臨終の場に際した久世侯はこう言った「原田、安心しろ。仙台藩は安泰だ。後は俺が引き受けた」と。

ここで時期がやや前後するが、賢臣、伊達安芸について述べたい。これは寛文11年(1671年)早春に居城の涌谷を出立する際の伊達安芸(役者:森雅之)である。彼の訴状(伊達兵部の行った一連の処遇)が幕府に審議に価するものと認められての上京であった。

「それがしは先般、寺に行って生きながら戒名をつけてもらった。もう思い残すことはない…」

彼の決意表明とも受け取れる言葉に土下座した百姓達からはすすり泣きが聞こえた。そして百姓頭は泣きながら安芸にこう述べた。

「殿様~、お気をつけて行ってらっしゃいまし、そしてどうかご無事でお帰りくださいまし」

ほんの一瞬だけ安芸の表情が感涙にむせぶ。彼の言葉通り、これが涌谷の領民との最後の別れとなった。彼はこの二ヵ月後に江戸の酒井雅楽頭邸での審議中に幕府の陰謀によって凶刃に倒れ、世を去ることとなったのである。
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250名もの家臣を引き連れ、江戸に向う伊達安芸、まるで戦に赴くような人数であるが、その主旨は伊達兵部の暗殺に毒殺や刺客へ対抗する手段であった。食糧は道中の宿で出されたものを一切食せず、全て涌谷から持参したものであった。

みぞれの降る涌谷城を出立する伊達安芸を土下座した農民が見送る。わが郷土宮城県は伝統的に口先だけの軽い者を認めず、彼のような実行力を伴う武将を重んじてきた堅い土地柄である。それだけに領民が寄せる期待と、彼への厚い信望を感じるシーンである。

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