fc2ブログ
 山形の古刹「専称寺」を訪ねて
一度思い込むと矢が降ろうが何が振ろうがそのことを成し遂げるまで居てたまらない。まさに猪突猛進である。このような性格は今までの私の人生で多くの災いをもたらしたが、けして悪い面のみではない。思い込むということは別な視点で捉えるならば迷うことがないという恩恵ももたらすのである。

ここで隣県である山形の古寺巡礼の真意について触れるならば、身の回りでちょっとした些事があって旅に出たくなったのだ。こんなときは由緒ある古刹でも巡り、煩悩がもたらす迷いをきれいさっぱりと取り除きたいと思ったのである。

時刻はまだ午前8時を過ぎたばかり、始発の高速バスで山形に向った私は山形市内の寺町(緑町)を歩いていた。そういえば110年前の今頃、文豪志賀直哉も仏門に入った叔父を頼りに山形(寒河江)を訪れていたのだ。尊敬する文豪への想い入れが私の脳裏を掠め、この日の足取りを軽くしてくれていたのだ。

※本ブログ志賀直哉「山形」へのリンクhttp://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/31212264.html

それでは山形市専称寺の位置を地図で確認して頂きたい。赤□が専称寺である。
尚、以前述べた通り、古寺巡礼が宮城県以外の県に及んだため書庫の名称である宮城古寺巡礼は「みちのく古寺巡礼」に改めさせて頂いたことをここに報告する。

これが専称寺の山門である。由緒ある古刹は山門を見れば一目瞭然であるが、この寺もまさにその例に漏れないものであった。

山形と言えば最上義光である。義光は秀吉に上手く取り入った大名で、一時は伊達六十二万石に迫る五十八万石の知行を賜った大大名であったが、その生涯は波乱に満ちていた。豊臣秀吉の甥である秀次に嫁がせた愛娘駒姫は秀吉の命により京都三条瓦河原でわずか15歳の若さで処刑されたのである。

まさに貰い泣きせずには居られない出来事であった。

非常に高さのある大伽藍を見ると義光の辛さ、駒姫への鎮魂の思いが伝わってくるような気がしてきた。
大伽藍の一画には城から移転した駒姫の書院もあるとのことであった。

1595年、駒姫が亡くなってから11年後に作られたとされる梵鐘である。

樹齢は数百年、境内にはこのような銀杏の大木も植えられていた。その様は薄幸の駒姫を見守るかのようである。

駒姫の墓へのルートを掲載する。

駒姫は奥の一画ににひっそりと眠って居られた。私は脱帽し、姫の御前に向って安らかであることを念じた。

蝉が鳴く季節には少し早いが、初夏特有の清々しさが感じられたひと時であった。
私は駒姫の無念に後ろ髪を引かれつつ、初夏の専称寺を後にした。

関連記事

トラックバック

トラックバック URL
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)