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 大正になって再興された古刹、瑞鳳寺
伊達政宗が亡くなる一ヶ月ほど前ホトトギスの初音を聞こうと従者の奥山大学(寛文事件にも登場する仙台藩重臣)を伴い、仙台城からほど近い経ヶ峰に墓を作るよう(瑞鳳殿)に指示したとされる。1636年3月のことであった。

実は伊達政宗の菩提寺は二つ存在する。一つが経ヶ峰にある瑞鳳寺、もう一つは松島(日本三景の一つ)の瑞巌寺である。昨日は原田甲斐屋敷を訪ねた後で広瀬川に掛かる評定河原橋経由で瑞鳳寺を訪ねた。

山門は仙台藩主の菩提寺に相応しい風格が漂うもので寺の格式を十分に伺わせるものである。この山門は東京品川にあった伊達屋敷の門を模し、昭和46年に作られたものである。

仙台藩祖、伊達政宗公の菩提寺として二代目の忠宗公が作ったとされるが安政5年と明治29年の二度の火災で消失し、廃寺(明治維新後、伊達家が神式で先祖を祀った故)の経緯を経て大正時代に復活したとされる。

参道を行く某、この後、現住職の鎌田様にお会いし、伺ったいきさつが河北新報社発行の「みちのく古寺」にこの寺が載っていたことによる旨をお伝えし、丁重に挨拶に及んだ。この本が発行されたのは昭和62年であったが、残念ながら当時住職を勤められておられた鎌田正紀様は亡くなられたとのことであった。

本堂はさすがに立派である。この日は梅雨の中休み。湿度も低めで暑くもなかったので非常に過ごしやすい日であった。

本堂脇に立派な梵鐘が置かれていた。

忠宗公が1637年に寺を建てるときに、工匠に命じて作らせたのがこの梵鐘とされる。ここにも奥山大学の名が登場する。


この灯篭は寛文事件の中心人物伊達安芸公を弔うために作られた献灯である。

これは本堂の脇に建てられた高雄門である。

寛文事件で21歳で逼塞させられた綱宗公の側室の屋敷の門を移転したものとされる。

本堂入り口から中庭を望んでみた。無風に近かったが、五月のころとほとんど変わらぬ乾いた風が気持ちよかった。

次回は本堂の内部を紹介する。
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