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仙台藩士原田甲斐が350年前に見た風景とは?
きょうの早朝に私はかつて仙台藩の重臣の屋敷があった片平町を訪ねた。位置としては仙台市の中心部よりやや西よりの部分で、近くには東北大学や東北学院大学もあり、文教地区である。

また広瀬川を見下ろす河岸段丘には高層マンションが建ち並び藩政時代の面影はほとんど残されていない。少し前にも本ブログで紹介した原田甲斐仙台屋敷は道路の右側の木が生い茂っているところである。

原田甲斐の屋敷跡は今は仙台高等裁判所の裏庭となっている。この日は工事が行われていた。

山本周五郎原作「樅ノ木は残った」で、仙台屋敷に帰った甲斐が政宗公(初代仙台藩主)や忠宗公(二代目仙台藩主)が眠る経ヶ峰(きょうがみね)の伊達家墓所を訪ねるシーンが登場する。

また甲斐は幼少のころ、この広瀬川でよく釣りをしたとされる。私はこれらは恐らく周五郎氏の想像の範囲では留まらず、現実的に大いにあり得るものと考えた。現実にあり得るものを描写するから、この作品は更に現実味を帯びてくるのである。この辺の手法はさすがに歴史小説の大家である。

広瀬川を挟んで左が経ヶ峰、正面やや右が仙台城跡である。尚、手前の橋は評定河原橋である。まさに藩政時代の歴史の薫り漂う場所である。

航空写真でルートと位置を確認して頂きたい。
赤:仙台城跡、ピンク:瑞鳳寺、黄色:経ヶ峰公園(瑞鳳殿)橙:原田甲斐屋敷跡

尚、袋状になった付近の地名の「評定河原」は藩政時代藩主と重臣による評定が執り行われたことに由来するものである。

原田甲斐屋敷から川に降りるのにはこの階段が近道である。

以下「樅ノ木は残った」第三部放鯉(ほうり)より
甲斐は釣り道具を持って、一人で、前の広瀬川へでかけていった。門前の道を横切ると、断崖の岩を削って、川へおりる階段があった。…

甲斐は断崖の途中で立停り、その古い樫や、崖に張りついている苔やシダなどを眺めやった。

甲斐はそれらをなつかしそうな、ひそかになにか呼びかけるような眼で、ゆっくりと眺めまわし、それから、川へおりていった。…

広瀬川はそこで凹字なりに曲流していた。御霊屋のある丘陵(経ヶ峰を指す)が突き出ていて、川は南東から来てその丘陵をめぐり、西南へと流れるのであった。

まさに小説通りのシチュエーションである。恐らく周五郎も執筆の前に取材に及んだはずである。この作品に与える臨場感は計り知れないものがある。改めて彼の着眼力と想像力には感服するものがある。

崖をおりてから仙台城跡方面を望んでみた。現在はサッカーグランドとその向こうが自動車学校である。藩政時代に評定が行われたのは恐らくこのあたりでなかったのだろうか?

こんどは甲斐の屋敷のほうを振り返ってみた。この白いマンションの陰が甲斐の屋敷跡である。藩政時代は恐らく見通しが効いたことだろう。

評定河原橋の中頃まで来た。橋の欄干の腰壁には伊達家の家紋の一つである九曜紋が施されていた。

いよいよ伊達家の墓所と寺のある経ヶ峰の前まで来た。付近にはカフェやレストランもありやや観光地化された印象がある。

次回は瑞鳳殿に隣接する古刹、瑞鳳寺についてお伝えする。
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