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 マンハッタン・ジャズ・クインテッド 
エッセイ「或る梅雨の週末」
本州以南は皆梅雨入りしたとは言え、六月に入っての最初の土曜日はあいにくの雨となった。雪ほどではないが雨の日の休日はいろいろと行動を制約される。外を歩くには傘を差さなければならないし、雨足が強くなると長時間ウォーキングするには厳しい。

しかしものは考えようで必ずしも悪いことばかりではない。それは雨は行動の選択肢を少なくし迷うことを防いでくれるからである。迷いがなくなった分をそのことに集中できるというものである。

きょうはそのような雨の週末をとことん味わってみたかった。いつものように青葉区の市民図書館に立ち寄った私は帰り足で、すぐ近くの仙台市民広場(勾当台公園の真向かい)で開かれているJAZZPROMENADE inSENDAIに立ち寄った。プロ、アマチュア様々なジャズシャン達が演奏する曲がすっかり深緑の街路樹に彩られた杜の都のビル街に響き渡る。フェスティバルを盛り立てる出店も多く見られた。

先日の仙台青葉祭りの雀踊りもいいがサキソホン、ドラムを主としたライトなアメリカンジャズも意外なほどこの城下町に溶け込んでいる。弾んだ感じの曲、やや気だるさを感じる曲と持ち味は色々だが、ジャズ本来のけしてかしこまらない高揚感が雨の日特有の暗さ、侘しさを帳消しにしてくれる。雨ということでやや客足は遠のいた感は否めないが改めてジャズの魅力を再認識できた気がした。

正直言って若い頃はジャズにあまり耳が傾かなかった。聴くのはロックがほとんどだった。ジャズは五十代半ばを過ぎたころからようやく耳に馴染んできた気がする。好みの音楽に変化が生じたのは無論心境の変化があったゆえに違いない。しかしその変化はけして急激には起こらない。少しずつ、少しずつ己の心に芽生え徐々に受け入れられていったのだ。

人は急激に変わるものに対しては顕著に自覚を覚えるが、ゆっくりと変わるものはなかなか気づき難いのである。これを例えるのならば、いつの間にか増えた白髪や顔の皺の類に近いものなのかも知れない。それだけ一人の人間が変わるには長い年月というものが必要なのである。

ここに壮年という言葉がある。体力のピークは25歳くらいと言われるが、精神上のピークばこの年では望めない。悟りを開くには多くの経験を積まねばならないからだ。今の自分は体力は下り坂であるのを認めざるを得ないが果たして精神上はどうなのか?ピークはいつなのか?悟りはいつになったら開けるのか?

『壮年とは一体何なのか?自分自身で自覚できるものなのか?もしこれを自覚するのであれば、単なるうぬぼれになってはいけない。』ジャズ会場を離れても、私はそのような取り留めもないことを考えながら歩いていた。

ジャズはどんな時でも感性に優しく響く。寺社仏閣巡り、骨董古美術とともにジャズ鑑賞は最近私の趣味に新たに加わった感がある。テンションが欲しければロック、癒しが欲しければジャズがいいだろう。この二本立ての構図はしばらく続きそうである。

さあ、雨足も弱くなってきた。美味しいコーヒーでも飲みたいものだ。土曜日特有の気楽な気分も手伝い、私は雨に霞むビル街を横目に見ながら足取り軽く馴染みのCafeに向かった。
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