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仙台藩の英雄伊達安芸宗重が眠る涌谷町見龍寺
城山公園の涌谷城を訪ねた私と知人はこの日の最終目的地である見龍寺(けんりゅうじ)を訪ねた。こちらが本堂側の門である。

軒の出は3メートルはあろうか?本堂は如何にも古刹といった風情がある。

見龍寺
宮城県遠田郡涌谷町にある臨済宗妙心寺派の寺院である。山号は海雲山。1591年に、亘理重宗が涌谷領主となったときに中興開山され、円同寺と称される。1671年に伊達安芸宗重が亡くなったとき、法号にちなんで見龍寺と改められた。歴代涌谷伊達家の墓所でもある。

本堂の南東側にはこのような立派な鐘楼がある。気温は23度と暑くも寒くもない。風はほとんどないものの、松の木の緑陰が心地よい。
煩悩が徐々に洗い流されてゆくのは快感という以外、表しようがない。

付近の航空写真をご覧頂きたい。涌谷伊達氏の墓所は赤□のところである。

見龍寺は以前は圓同寺と称したが伊達安芸宗重死去に伴い、見龍寺と改められたとされる。

この一画が涌谷代々の伊達氏(当主と正室)の墓所である。手前の石造五重塔に着目して欲しい。

なんとこの石造五重塔の基礎部分には伊達安芸宗重公の遺灰と見られるものが入っていたとのとこである。寛文事件で殉死した伊達安芸はまさに忠臣の鏡とも言うべき人物で、涌谷の家臣にとっては崇拝すべき存在だったのではないだろうか?説明書きにはいつでも墓参しやすいようにとの配慮があったようである。地元はもとより多くの方が彼の墓参、供養に訪れたのは想像に難くない。

これが遺灰の一部を入れたと見られる容器である。(涌谷町史料館展示)

涌谷伊達氏の墓所の位置をご覧頂きたい。四代目に当たる安芸宗重公は中央右側に葬られている。ちなみに初代か~三代目の墓所はここにはなく他の寺に葬られている。

墓石のブラインドになってしまったが、ここが忠臣、伊達安芸宗重公の眠る御霊屋である。

寺に安置されている宗重公の木像である。誠実で実直な彼の面影は数百年を経た今でも感動をいざなう。彼こそは武士の中の武士、忠臣の中の忠臣と言うべき人物である。

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