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 落ち延びた姫に加護?のあった露無の里
写真をご覧頂きたい。この神社は仙台市青葉区宮町にある福澤神社である。

※福沢神社(以下宮城県神社庁HPより引用)
桓武天皇延暦年(788年)此の地に創祀し児玉明神と称す。天暦年(949年)京都総本宮の稲荷社祠官より正一位稲荷大明神安鎮の証を得て、社号を福沢稲荷明神と改める。

安貞年間(12271228)平泉の和泉三郎忠衡(藤原秀衡の三男)乳母石塚小萩は、主家の女安養院を守り当地に留まり待ち来たる藤原家の護持仏十一面観音像(木像で後世小萩観音と称され仙岳院に現存行基作)並に菅原真実の真筆は当社内に安置されたが後伊達綱宗が城東天満宮を榴ヶ岡に遷宮した際、観音像は天神林に堂を建て遷座した。

又福沢稲荷明神の宮守りした小萩の残した歌に「雨も降れ風の吹くをもいとはねと今宵一夜は露無の里」と後世この世を露無の里といわれている。慶長年間(15961614)片倉小十郎景綱によって、神殿、拝殿を造営したが火災に逢い明治時代再興する。 

これは明治時代後期と見られる福澤神社周辺の地図である。周囲はのどかな田園が広がっているのがわかる。蛇行して流れる川は梅田川、黄色が福澤神社の場所である。向かえに熱海温泉という名の温泉があったのは極めて驚くべき事実である。

『犬も歩けば棒に当たる』ということわざがある。ゴールデンウイーク前半、某は偶然ながら或る歴史的な場所に遭遇するものとなった。それは福澤神社から北へ約1キロほど行った地点である。コンビニの前の道路際にこのような松の木が立っていた。この辺りは古くから「露無の里」と言われている。

航空写真で位置を確認して頂きたい。黄色○:福澤神社、赤○:露無の里

※以下歌語り風土記(宮城県)より引用

昔、仙台の福澤稲荷神社の境内の脇に尼寺があった。鎌倉時代の初めに、平泉の藤原秀衡家に乳母として仕へた石塚小萩女が移り住み、ここで福沢明神の宮守をしていた。庵には藤原秀衡の孫娘や、佐藤継信、忠信(源義経の家臣)の母の梅辰尼も一時住んだと言われる。小萩は、この地に観音堂と庵室を建て、近隣の子に学問を教へて、七十才の生涯を終へたと言われる。庵の跡に、村民は一本の杉を植えて供養した。この杉?は八百年後の今も現存するといふ。

小萩女の残したこの歌により、後世この地を「露無の里」といふ。(福沢神社由緒)源頼朝の追っ手から逃れようと、藤原忠衡の四歳の姫は800年前、このあたりで不安な一夜を送ったのではあるまいか?

『雨も降れ、風の吹くをも厭はねど、今宵一夜は露無つゆなしの里』小萩

※航空写真で確認して頂きたい。
藤原氏の居城のある岩手県平泉:黄色○、露無の里のある仙台:赤○(両者の区間:約100キロ)

『興隆する者あれば、必ずや衰退をたどる者がある。』これは人類がこの世に誕生してから繰り返されてきた普遍的な事象であり、今の世界情勢を如実に示すものでもある。

歴史の99.99パーセントは闇に葬り去られるが、某は800年前、姫が無事に生き延びたことを信じて止まないものである。
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