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  仙台屈指の古刹「龍宝寺」を訪ねて
「古寺巡礼シリーズ掲載にあたって」プロローグ
私は無神論者であるが五十を越えたころからよく寺社仏閣巡りをしている。世の中のおおよそのものが姿を変えてゆく中にあって、寺社仏閣は数少ない歴史の生き証人であり、現代人に昔人の存在を強く意識させてくれるものである。こうして寺社仏閣巡りを進んで行うようになってからは心の平穏が得られ、例え気持ちがぶれることがあってもそのぶれ幅が以前よりも少なくなってきた気さえしている。

 これを言い換えるなら自分の存在が現世の中に違和感なく溶け込むような不思議な感覚をもたらすものと感じている。寺社仏閣巡りは日頃から自己客観視という目標を掲げ、悟りを開こうと日夜苦悩している私に大きな活路を見出しうるものと捉えているのである。

このような経緯を踏まえ、今回書庫に「宮城古寺巡礼」という項目を新規に設けることにした。無神論者ゆえに本来ならば「古寺探訪」とすべきところなのかも知れないが、「古寺巡礼」という名著を著した哲学者、和辻哲郎氏に、また同じ題名の写真集を手がけた写真家、土門拳氏に敬意を表し、あえてこの題名を選択するものとした。

尚、今後巡礼の範囲が他県に及び次第「みちのく古寺巡礼」もしくは「古寺巡礼」に改めたいと思っている。記事の範囲としては、とりあえず昭和62年河北新報社発行の「みちのく古寺」に掲げられた古刹を取材対象とし、これに私見や随筆風の文章を加え、現物主義(写真や調べ物を多く取り入れる)に基づき展開していく所存である。


第一回の今日は奥州伊達家ゆかりの古刹仙台市青葉区の龍宝寺についてお伝えする。

※以下仙台市HPより抜粋の上ミックが編集

真言宗 御室派 別格本山龍寶寺 所在地宮城県仙台市青葉区八幡四丁目8番32号 ☎022-234-0005(代表文治年間(1186年)伊達家の初代朝宗公が、伊達家の祈願寺(きがんじ)として開かれたお寺龍寶寺は、常陸の国より 福島県梁川、山形県 米沢、宮城県岩出山と、伊達家と共に移動し、慶長年(1598年)頃、初代仙台藩主伊達政宗公の仙台築城に伴って現在の地に移されたとされる。藩政時代は城下最大の門前町を与えられ、龍寶寺に属していた寺院は約70にも及ぶ大寺院であった

※赤□:龍宝寺

これは今から二百年ほど前の龍宝寺である。大崎八幡神社の東隣にあるのがおわかり頂けると思う。

参道入り口のところである。昭和初期(左)と現在ではさほど変わりがないようである。















山門は寺の格式を表すものであるが、さすがに伊達家ゆかりの古刹という威容を伺わせるものである。

手入れの行き届いた庭木と建物が初夏の日差しに生えるシーンであるが、この建物は客殿である。

ここは金堂である。(屋根の微妙な違いに着目)

西側に位置する本堂は凛として聳える趣きがある。尚この後ろは大崎八幡神社である。

白い外壁の釈迦堂。

※国指定重要文化財釈迦如来立像

四代目仙台藩主伊達綱村公が、栗原郡(現宮城県栗原市)の福王寺にあった釈迦如来立像を龍寳寺の本尊として勧請。釈迦如来立像は、京都清涼寺の釈迦如来立像を模刻した鎌倉時代初期の作品と云われ、ガンダーラ様式の寄木造である。1903年国宝に指定され、1951年国宝再編の際に、国の重要文化財に指定された。古くから出世如来、願掛け如来、子育て如来として信仰されている。

左は寛文事件によって21歳の若さで隠居させられ書や絵に励んだとされる三代藩主伊達綱宗公直筆の仁王像である。

仁王像掛軸一対左:三代目仙台藩主伊達綱宗公筆、右:松原幽知筆 (伊達綱宗公之師) 


多宝塔は、伊達朝宗公が、龍寳寺を祈願寺としてから800年記念として建立。多宝塔は、仏教の開祖であるお釈迦様の遺骨(仏舎利)を、祀るために建てられた仏塔の一つ。龍寳寺では、真言宗の総本尊様の大日如来を中心として、胎蔵四如来を祀っている。 

最後に龍宝寺の年間行事についてご覧頂きたい。如何に人々の信仰が厚い寺であるのかがおわかり頂けると思う。

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