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先日、石巻千石船の会のH会長にみちのく春秋を送り、現在蛇田町(現:旭町)の町割りを調べていると伝えたところ、このような興味深い資料が送られてきた。明治時代の蛇田町の地図である。我が故郷石巻には墨廼江という銘酒があるが、墨廼江はこの濠の名前(別名:蛇田かいこほり)から取ったものらしい。

このように建物一つ一つの名称がわかるのは大変有り難い。この界隈に妓楼(遊郭)が多いというのは以前から聞いていたが、それを改めて認識する次第である。

これは今で言えばゼンリンの地図のようなものであるが、上記の明治時代からは少し後の頃(大正期~昭和初期というメモ書きが見られる)のものと思われる。ルーツで言えば曾祖母M~祖父母の頃に当たる。この図を見ると一枚目の地図の⑤が石巻変電所であることがわかる。

毛利屋は戊辰戦争の時に、榎本武揚や土方歳三らが泊まった建物である。広済寺は志賀直哉の兄(2歳で夭折)が葬られた寺。相馬藩邸は志賀直哉の父・直温が関わった建物。住吉尋常小学校は藩政時代住吉御蔵が建っていた場所である。

横町挨拶
この地図を見て頂ければ、生家の周囲が歴史を論ずるに事欠かない場所であることがおわかり頂けるものと察しております。本日はそんな土地柄に根差した我がルーツの在りし日のことを思い浮かべ、週初めの酒を嗜んでおります。H会長が私のブログを見て頂いているか否かはわかりませんが、折角頂いたデータゆえ、有意義に活用したい所存です。

近隣の村(蛇田村)から屈強な若者を迎い入れ、宿駅(宿場町)として江戸時代に栄えた蛇田町ですが、新たな運河の開削で一関街道のルートが変わり、一度は衰退の憂き目に遭いました。その後花街として再復活したわけですが、その背後には港町には花街がつきものという裏事情がございました。私が生を受けた横町は飲み屋が多く、昭和中期までは歓楽街の様相を呈しておりました。本日も我がルーツに迫る記事が書け、僅かながらも前進を感じています。この貴重な足跡を是非この次に繋げたいと考えております。本日も最後までご覧頂きありがとうございました。

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