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エッセイ「栄光とともに生きる」
私は何事にも拘りが強く、ひどく人から仕切られ指図されるのを嫌ったために若い頃から苦労してきた。とうにサラリーマンには向いてないとわかっていても性格は簡単に捨て切れるものでなく、徐々に社会の渦にはまっていった。常に私は反逆者の捺印を押され、「潰し」の恰好の標的にされながら、一方でそれに対する反骨精神も養い、ボクシングのファイターのような相打ちを恐れない姿勢を貫き今日まで強かに生き残ってきた。要は私は支配者階級から睨まれ疎まれる存在なのである。こうした私の半生は権力との戦いの半生と言っても言い過ぎでない。



支配者階級との戦いに明け暮れた若年時代の私には自己を客観視することが出来なかったのである。そしてそのつけはいよいよ四十代後半になって回ってきた。あることがきっかけでで私は負の無限回廊に陥り死神に睨まれたのだ。私は底なし沼のような惨状にはまりながらも、この死の囁きを必死の思いで払い除け命を取り留めた。そして五十を過ぎてやや自己を客観視出来るようになり、ようやくこのスタンスに無理があったのに気付いた。

ここまでたどり着くのに様々な右往左往の曲折があった。だが今の私はそれが無駄な体験だったとは思っていない。この経験を糧にし、どんな事態に遭遇してもこれを天命と受け止め、真実をしっかりと受け止め、平常心を保てばやがて事態は必ずや打開に至るものと信じているからである。それ故平常心はどんなことであろうが失ってはならないと考えている。戦は浮き足立ったほうが負けなのである。戦に遭遇しても私は気負うことなく武士の如く水が低地に流れるように淡々と物事を受け入れ、自然の摂理の如く振舞いたい。これが今までの人生で得た教訓である。

こうして私の方向性は定まったがこの歳になってもいまだに煩悩が事の成就を妨げている。頭の片隅では自己を客観視をしたいと思っていてもなかなか実行が伴わないのだ。主観視と客観視の葛藤は一体いつまで続くのか?宇宙のなかの芥子粒のような存在の私に一体何ができるのか?否何をするべきなのか?

しかしその結論を先送りするのはこの辺で終わりにしたい。そろそろ還暦も近い。私は物事の本質を見抜き、それに冷静に対処する実行力を培いたい。事実の屈曲や色付けは一切不要である。他言は無用、私は常時物事の真理のみを追求したい。私はこれを肝に命じて残された人生を一歩一歩着実に前進し、臆することなく人生のゴールを切りたいと思っている。
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