fc2ブログ
仙台すずめ踊り 一番町通流し【2018仙台・青葉まつり 】SUZUME ODORI(sendai,Japan) 
リンク動画について
仙台を代表する七夕は目抜き通りの飾りを見て歩くという静かな祭である。そんな仙台にもこのような躍動感に溢れた踊りがある。それが雀おどりである。仙台と言えば伊達家である。伊達の三つの家紋の一つが竹に雀である。従って雀おどりは伊達家の家紋に関わる踊りと言っていい。

以下:仙台・青葉まつり協賛会ホームページより引用
仙台のすずめ踊りは、慶長8年(1603)、仙台城移徒式(新築移転の儀式)の宴席で、泉州・堺(現在の大阪府堺市)から釆ていた石工たちが、即興で披露した踊りが起源と言われている。西国らしい小気味よいテンボ、躍動感あふれる身振り、伊達家の家紋が「竹に雀」であったこと、はね踊る姿が餌をついばむ雀の姿に似ていたことから「すずめ踊り」と名付けられた。戦前までは石切町(現在の八幡町)の石工たちによって踊り継がれ、毎年、大崎八幡神社の祭礼には「すずめ踊り」を奉納するのが通例となってい。 

しかし、戦後は「すずめ踊り」も次第に継承者を失い、同町石切神社にてわずかに残った石工にひっそりと受け継がれるだけとなっていた。仙台・青葉まっりでは、途絶えかけた伝続を守るため、伝承者黒田虎雄氏の指導を仰ぎ「すずめ踊り」を復元。昭和62年(1987年)より『仙台すずめ踊り』としてコンテストや講習会を開き、すずめ踊りの伝承・普及に力を注いできた。現代の『仙台すずめ踊り』は、「すずめ踊り」の原型をとどめつつも、老若男女どなたにでも楽しめるよう工夫されており、仙台の風物詩として定着してきた。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
本日目当ての歴史講演会「戊辰戦争150年 石巻の侍たち」受講の為、仙台市の繁華街を訪れた私だが、偶然にも雀踊りと遭遇した。一番町狭しと繰り広げられる雀おどりに多くの老若男女が参加していた。非常に華やかな印象を受ける雀おどりの起源が西国(江戸時代初期に大阪府堺市から来ていた石工)にあるのはわかる気がする。

この踊りの特徴は徳島の阿波踊りのような男女の境界がないことである。それでも女性は華やかに、男性は威勢よくという指向性が見て取れる。祭や踊りではそれも大きな見所の一つと認識している。

竹に雀の入ったはっぴを見かけた。宮城県人ならテンションの上がるシチュエーションである。

政宗公の兜には三日月がアレンジされているが、三日月の模様を模ったはっぴもなかなかいい。そう思うのは自分が根っからの宮城県人たる証なのかも知れない。

雀踊りの余韻(どうしてもハイテンションになってしまう;)が消えぬ間に私は近くの公園でこのようなイベントを見かけた。「鍋まつり」である。季節は晩秋、然らばこれからは鍋が有難い季節である。この旗に誘われて私はここで鍋を頂くことにした。(笑)

席はさほど混雑していなかった

我が仙台のいいところは人ごみによって興を削がれるということが少ないということである。

鍋と日本酒を合わせたいところだったが、この後歴史講演会への出席があるのでアルコールは控え、鍋だけ頂くことにした。私が選んだのは上村豆腐店の「絹ごし豆腐揚げのあんかけ鍋」である。選んだ基準はヘルシーであるということである。

宮城県の郷土料理に「おくずかけ」というものがあるが「絹ごし豆腐揚げのあんかけ鍋」は限りなくそれに近い。本来のおくずかけには、豆ふと油揚げが入るのだが、揚げ出し豆腐がついているので、これがなくてもおくずかけと言って差し支えない気がした。

横町挨拶
本日は敢えて歴史講演会の記事を後に回しました。それはバランスを重視するという自分の考えです。歴史ばかりを扱うとどうしても印象が堅くなる。これを回避する意味です。ところでブロ友の皆さん、雀おどりは如何でしたでしょうか?戊辰戦争で賊軍とされた仙台藩は、残念なことに何事も目立たないようにという「守りの気質」が培われて参りました。即ち、「出る釘は打たれる」にございます。私などはこの気質に大いなる対抗心をもって「打てるものなら打ってみろ」という人生を歩んで参りました。もちろん「冷や飯」覚悟でのことです。(笑)

戊辰戦争150年を向かえ、我々宮城県人もそんな守りの気質とは、そろそろおさらばする時が来たと認識しております。郷土史家の端くれとして、私はこの雀おどりにはそのような意味が含まれていると解釈しています。本日は改めまして、「我が仙台藩は賊軍に非ず!」を声高らかに唱えたい所存です。本日も最後までご覧頂きありがとうございました。

関連記事

トラックバック

トラックバック URL
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)