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 ストラヴィンスキー 春の祭典 
 エッセイ「春の雨のもたらすもの」
有給休暇を使った私の春休みもきょうで最後となった。初日の3月21日はは実家の墓参りにあて有意義に過ごしたものの、十連休は長いようだが今となってはあっという間に過ぎたというのが実感である。これを客観視するならば、その根底には欲張りすぎた私の主観があると踏んでいる。時節柄気候に恵まれ、気温も上がり、今日はどこへ行こうと悩むのである。この迷いが私に選択の余地をもたらし、私の持つ様々な煩悩に拍車を掛けたのである。

概して多くの人は欲張りである。誰でも有意義な休みを望むことだろう。休暇を楽しく過ごしたいと思うことだろう。だがこの時の「モアベター」の「モア」こそが余計なものと感じている。今となって負け惜しみを言うわけではないが、私はこのようなことで欲張るよりも、迷うことなく自分の仕事なり、趣味なりに打ち込むほうが却って充実したものを感じる。



そう言う意味できょうの「春の雨」にほっとしている。きょうの「春の雨」のお陰で私は心を迷わすことなく、安心して読書や創作に打ち込むことができそうである。この雨が私の外出したいという欲を綺麗に洗い流してくれたことに感謝したいのだ。「二兎を追う者一兎も得ず」ということわざがあるが、この言葉には改めて処世に於いて切に同感する次第である。

個人差はあるものの、所詮一人の人間が一生の間に出来ることなど知れたものである。人間は一生の間に一兎を獲得すればいいのである。但しここで怖いのは一兎を追うのに専念できない邪心を持つである。この邪心は人間に様々な弊害をもたらす。
 
対人関係に於いて喋り過ぎがいけないのと同様に、何事も過ぎたるは及ばざるが如しである。人間は神仏ではない。欲張って多くの分野のことを深く知ろうとする時、ここに無理が生ずる。人間はいくら頑張ってもこの世の経典をすべて読破などできないのである。それよりも一つ一つのものに専心し、これを着実に自分のものとしていくほうが優っているのだ。

きょうの心境を他に例えるならば雪国の湯治場で過ごす心境に近いのかも知れない。私は湯治場で過ごすこのような時間を尊いものと考える。何故なら己の精神を様々な邪念から守ってくれるからだ。私は時間という価値観を普遍的に見定めるとき、長さでなく質が肝心と心得る。私は仏教の教える恵まれないものの中にこそ潜む徳の道理を良くわきまえ、過ぎ去った九連休のことを捨て去り、与えられたきょう一日に感謝しつつ有意義に過ごしたいと思う。 
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