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 仙台平野沿岸に根付いた豪族の古墳?
きょうの仙台地方は春本番を思わせる気候で気温は20度を越した。こういう日はバイクで史跡巡りでも…。そんな私の脳裏に浮かんだのは一昨年2012年11月1日のある古墳探訪への雪辱だった。
 
雪辱と言ったのは1年5ヶ月前の当日、太白区の城丸古墳は発見できたものの、数百メートルしか離れていない弁天囲古墳をどうしても発見できなかったからである。私は城丸古墳を訪れた時にたどったルートを行くのが無難と考え、バス通りのローソン前からのアプローチに及んだ。

1年5ヶ月前に訪れた城丸古墳↓↓(自分のブログより転載)

間もなく古木の桜並木に差し掛かったが仙台の桜はまだまだ(開花予報は4月中旬近く)である。この桜並木を見ただけでこの道が旧道であろうことを感じさせる。

なんと昭和46年に作られた市バスの待機所が今でも残っていた。壁面にところ狭しと貼られた広告用の看板が目に止まった。電話の局番は現在は3桁になったのにこのころは2桁であった。今は存在しない店や会社もありそうで非常に興味深いものであった。

私は寄り道が好きである。都心からかなり離れた仙台の南端の古い住宅地の中にこのようなちょっとした商店街(いっぱい飲み屋、スナック、大衆食堂…)が形成されること自体大変興味深い。不況の影響だろうか?今はそのほとんどが廃屋になっているようであった。

航空写真で位置関係を確認して頂きたい。
黄色○:一昨年訪れた城丸古墳(神社)、青○:市バスの待機所
黄緑○:スナックの廃屋、赤○:弁天囲古墳、橙○:竹林
(何れも写真を撮影した箇所)

間もなく私の勘は的中した。田起こしが終わったばかりの水田の中に目指す弁天囲古墳があった。(背景が住宅地であることに注目)
 
インターネットや書籍で見た弁天囲古墳は何れも水を張った稲が青々と茂る田ばかりであり、近くに行くことは出来そうもないものばかりであったが、良く見ると畦道らしきものがある。
 
どうやらすぐ近くまで行けそうである。この後この田の地主らしきかたと偶然会い、古墳の取材(土地への立ち入り)を申し出て許可を頂いた。このかたのご厚意には改めて感謝する次第である。

ナビで両古墳の位置を確認して頂きたい。赤:弁天囲古墳、黄色:城丸古墳。
なんと直線距離にしたら300メートルほどしかない。一昨年見つからなかったのは迷路のような入り組んだ道路と家屋の陰になったのが災いしたようだ。

細い道にバイクを止めて畦道を歩き古墳に到達した。私の知る限りにおいて、弁天囲古墳をこの至近距離から撮影した写真はインターネットにも書籍でもかつて見出せなかった。南を向いた湯殿山のこの祠が一番大きな祠である。

未調査であるゆえ、多くのこと(築造年代、埋葬された人物…)は不明とのことであった。

もう一つの祠は東を向いていた。山神の祠である。

震災の被害の影響だろうか?google航空写真によると、ここは林(左)と家屋(右)があるはずなのだが今は更地となっていた。中央の松の木が生えているところが弁天囲古墳である。どんな人物が眠っているのだろう?恐らくこの辺を統治した地方豪族ではないだろうか?

林の一部は今も残っていた。それにしても立派な竹林である。
強風が吹けば全体が揺さぶられるようにざわめくことだろう。
私はこの竹林がざわめくのを想像した。不思議なことだがそうしているうちにそのざわめきがあたかも現世の様々な人々の生き様を彷彿させるような気がした。
或いは豪族が存在した時代もこのような竹林や雑木林があったのかも知れない…
この竹林は例え世代が代わっても多くの人の生き様を横目にしてきたのだろう。
いつしか私はそんなとりとめのない瞑想にふけっていた。

豪族が葬られた当時はずっと海岸線が近かったのではないだろうか?時刻は11時を過ぎた。私は千数百年前の仙台平野の沖積層に作られた古墳に大いにロマンを感じ帰途に着いた。
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