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 井上靖 敦煌(とんこう)        
       
井上靖「敦煌」概要
11世紀の始め漢人である趙行徳(ちょうぎょうとく)は、進士の試験の面接時の待合室で居眠りをしたためこれに失敗する。落胆した行徳は開封の町の郊外の市場の辺りを魂が抜かれた者のようにふらふらと彷徨い歩いた。そこで行徳が見たものは食肉として売られている生きた西夏の女であった
 
行徳が情けをかけ救ってやろうとと言い出すと、女は「あいにくだが、みんなは売らないよ。西夏の女を見損なって貰っては困る。買うならばらばらにして買って行け」と凄んだ行徳が金を払って女を解放しその場を立ち去ろうとすると女は「金をただでもらうのはいやだから、これでも持って行ってくれ」と言いながら一枚の小さい布片を差し出した。行徳は女の潔さに惹かれ、また布切れの西夏文字に大いなる関心を示し、彼にとっては未踏である西域へと旅立つのであった
 
※赤○:敦煌、黄色○:興慶


そしてこの後彼は全くの偶然をもって西夏の外国人部隊に編入され、各地を転戦していく運びとなった。行徳は生粋の武人である朱王礼という隊長に見込まれ、やがて出世していく。行徳は誠実で勤勉な人柄を見込まれ、西夏文字を学びこれを編纂するために自ら申し出て首都である興慶へ派遣される運びとなった。
 
そんな最中、従軍していた彼がウイグル族の拠城甘州に突入した時に朱王礼の命令で烽台の上に登ったところ、隠れ身を潜めたウイグルの王族である美しい女を発見する。彼は女を匿い、やがて彼女から信用を得て将来を約束する仲となった。志願して興慶に旅立つ時、彼は一年以内に再び戻って来ると彼女に約束し、朱王礼にその身を託した。しかし興慶への留学期間は長引き期間は二年にも及んだ。
 
※敦煌:×部分


やがて行徳が戻ってきた時、彼女はおらず、朱王礼に問い詰めたところ、彼は不機嫌そうに「彼女は死んだ」とだけ言うのであった。主君への不信を抱く中で、行徳はある日死んだはずのウイグルの王族の女に会う。彼女は目を伏せてその場を立ち去るがやがて西夏の王の側室となった自分を許せず城から身を投じて死んでしまう。
 
虚無感に駆られた行徳は彼女の供養を果たそうと再び朱王礼について戦に身を捧げた。そして彼らはいつの間にか西夏の反乱軍として君臨し勝ち目のない西夏との戦いに及ぶ運命となった。死を覚悟した行徳は自らも一部携わった貴重な経典の隠し場所を思いついた。それが敦煌南郊の鳴沙山の千仏洞であった。この鳴沙山の千仏洞に隠された膨大な量の経典、書物は実に850年という時の流れを経て或る男によって発見されることとなった。そして…

        読後感想
11世紀の中国を舞台に描かれた壮大な歴史小説。靖はまるで煩悩を捨てたかのような趙行徳という飄々たる人物に成りきり、民族同士の戦いを生き抜いてゆく。一見すると西遊記のような冒険小説と思いきや、靖の意図するのはそれだけに留まらない。それは本作が人類学的、哲学的な視野に立った大作だからである。
我々日本人のルーツをたどる時、朝鮮半島を経て中国大陸(広義にはユーラシア大陸)という途方もない地域に行き当たる。この広大な地域を舞台に一万数千年から近世に至るまで多くの民族同士は対立と抗争を繰り返してきた。いい変えれば我々の先祖は隆盛と衰退を交互に繰り返し、征服するものあれば滅亡するものありの図式を無数に重ねてきた。靖は本作を通じてこの普遍性を訴えたかったのではないだろうか?
さてもうひとつのテーマであるが、歴史担当の新聞記者出身の靖にとって経典などの徳のある著物の重要性(様々な分野の研究の基盤となる文献)は既に十分に認識済みなはずである。従って靖は沙山の千仏洞に隠された経典類の特異性を100年ぶりに改めて浮き彫りにすることによって、宗教や思想上で多くの人へ及ぼしうる影響を自分自身の作家人生に重ね、訴えたかったと考察する。
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