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古代から中世にかけての豪族らの居城を訪ねて
きょうの仙台地方は張り出した太平洋高気圧の影響を受け気温が14度近くまであがった。今年になっての最高気温である。こういう日は史跡探索にでも出かけたい。そのような欲求がこの日の私の背中を後押ししてくれた。私はJR仙石線に乗って多賀城市下馬駅でおりた。

下馬という地名の由来をご覧頂きたい。中世のころ、留守氏、大崎氏、葛西氏の豪族たちの往来が激しく、下馬札(馬に乗ったままの通行を禁止する)が立てられた場所とのことであった。

google航空写真で位置関係を確認して頂きたい。赤:JR仙石線下馬駅、黄色:目的地の矢作ヶ館(やはぎがだて)跡。

迷路或いは毛細血管のような新旧様々な道が絡み合う複雑な道路を通って10分ほどで矢作ヶ館跡に到着した。旧道と見られる道に沿ってこのような立て札が立てられている。

まずは南側から見てみた。麓には数基の石碑が立っている。このあたりはブログ仲間のロッソさんの2010年の記事で紹介されていたところである。
 
矢作ヶ館跡:奈良、平安時代の瓦や土器が出土した遺跡。平成14年の多賀城市教育委員会の発掘調査では古代の竪穴住居跡、掘立柱建物跡、溝跡が発見された。地方豪族留守氏重臣逸見遠江守の居館といわれるが、詳細は不明である。

今度は東側に回りこんで見てみた。あくまでも自然の地形(丘)を利用した居城のようである。

北側の小高くなった丘から見てみた。最初の写真(南側)とは反対側である。ご覧のようにこの遺跡はJR東北本線で分断されているのである。とは言っても丘のほとんどは線路の南側の方角である。

google 3D写真(鳥瞰写真)で矢作ヶ館跡を立体的にご覧頂きたい。矢印が写真を撮影した方向である。さきほど南側からとお伝えしたのが右下の矢印となる。ちなみに左側の土肌が見えている丘は野田館跡と言われているようだが多くの詳細は不明であり、恐縮ながら今回は割愛させて頂く。

興味本位で野田館跡の更に西側(3D写真では左側)に出てみた。このように住宅地の中にありながら、一軒の住宅も見えないポイントが存在する。まるで田舎道のような錯覚さえ感じた。

野田館跡の西側には驚くことにこのような原野もある。鬱蒼とした竹林や雑木林の点在はこの辺り一帯が遺跡であったのを伺わせるに十分である。

踏み切りを渡って再び矢作ヶ館跡に戻ってきた。どう見ても現在は私有地(農耕地)となっているようである。私はここで意を決して地主のかたと直談判に及び、土地の立ち入りと写真撮影の許可を頂いた。この写真は城館の一番標高の高い地点である。(現在は果樹園、雑木林となっている模様)

こちらは城の南側の斜面になる。

平成15年発行の多賀城市教育委員会調査報告書から引用した地図をご覧頂きたい。こうして見るとはっきり城館らしき概要が浮かび上がってくる。矢印は上二枚の写真を撮影した方向を示す。

この城館をめぐっての激しい権力争いには小競り合いもあったことだろう。果てしない野望もあったことだろう。古代から中世にかけての地方豪族たちのロマンを感じたきょうの史跡探訪であった。
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