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1981年発表井上靖長編小説「本覚坊遺文」

読書動機
私の読書スタイルを一口で述べるなら尊敬する作家ありきというタイプになる。
最近井上靖の書いた「孔子」を読み、孔子自身の真髄に迫る人物像を描くとと
もに彼を取り巻く人物の表現の巧みさに引かれたことが本書への読書欲に繋がった。
孔子という思想上に於ける聖人もそうであるが、茶の聖人と称される利休などの
人物を描くには筆者自身の力量と実績が多く問われるはずである。私はこれまで
の作品から井上靖という作家にはその信頼を託すに十分な実績と人々の心の奥底
までをも動かす圧倒的な筆力に大いなる畏敬の念を感じていた。
固定概念は必ずしもいいとは限らないが、そう言う意味で本書には読む前か
らけして期待を裏切らないものという揺るがぬ確信を持っていた。



もう一つの動機は今ブログでお付き合いさせて頂いている骨董、古美術が趣味
のかた(ひがにゃんさん、不あがりさん、ことじさん)との関係である。これ
まで私は利休くらいは知っているものの、古田織部、山上宗二、千宗旦、織田
遊楽らの名前が出てくると内容的に疎くなるので、骨董趣味のかたと今後もお
付き合いさせて頂くには己の見聞を広げ、せめてこのあたりの基礎知識だけで
も補いたいと思っていた由縁である。

読者のかたへの便宜を図り、作品中に登場する人物をWikipediaから抜粋して
紹介する。
 千利休(1522~1591


戦国時代から安土桃山時代にかけての商人、茶人。わび茶(草庵の茶)の完成
者として知られ、茶聖とも称せられ今井宗久・津田宗及と共に茶湯の天下三宗
匠と称せられた。弟子に山上宗二、本覚坊。
 
          古田織部(重然)(1544~1615)



戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。一般的には茶人として知ら
れる。「織部」の名は、壮年期に従五位下織部正(織部助)の官位に叙任され
たことに由来している。千利休が大成させた茶道を継承しつつ大胆かつ自由な
気風を好み、茶器製作、建築、庭園作庭などにわたって「織部好み」と呼ばれ
る一大流行を安土桃山時代にもたらす。
 
山上宗二(1544~1590)(肖像画なし)
戦国時代から安土桃山時代にかけての堺の豪商、茶人。千利休に20年間茶の湯
を学んだ高弟であり、利休に同行して茶会に出席している様子が当時の茶会記
から確認される。茶匠として豊臣秀吉に仕えていたが理非曲直の発言で秀吉の
怒りを買い、浪人する。この時に前田利家に仕えるようになるが1586年に
も再び秀吉を怒らせて高野山へ逃れ、翌々年頃から自筆の秘伝書『山上宗二記』
の写本を諸方に授ける。その後は小田原に下って北条氏に仕える。1590年
の秀吉の小田原征伐の際では、利休を介して秀吉との面会が叶い、秀吉が再登
用しようとしたが、仕えていた北条幻庵に義理立てしたため秀吉の怒りを買い、
耳と鼻を削がれた上で打ち首にされた。
 
          織田有楽(長益)(1547~1622)


安土桃山時代から江戸時代初期の大名、茶人。長益系織田家嫡流初代。織田信
の十一男で、織田信長の実弟。有楽斎如庵と号し、後世では有楽、有楽斎と
称される。千利休に茶道を学び、利休十哲の一人にも数えられる。後には自ら
茶道有楽流を創始した。また、京都建仁寺の正伝院を再興し、ここに立てた茶
室如庵は現在、国宝に指定されている。
 
  本覚坊遺文概要
第一章
利休の弟子であった本覚坊は四十代半ば、師匠が自刃した後茶から身を引き隠
遁生活をしていた。彼は数年前師匠を堺に追放し切腹を言い渡した時の権力者
太閤秀吉の仕打ちにはどうしても納得が行かず、日々虚無感に襲われ、再び茶
に向かう気持ちなどになれないでいたのであった。そんなある日道を歩いてい
た彼は生前の師利休と親交のあった東陽坊と逢い声をかけられる。この時東陽
坊から利休はその表面とは裏腹に、烈しい心を持ち茶に命を賭けていたとの話
を聞かされる。東陽坊曰く「乱世の茶は終わった」と言う。時は既に古田織部
の時代になっていたのである。
 
この時本覺坊は師匠が自刃して二十日後に不思議な夢を見たことを思い出した。
それは草木も生えぬ冷え冷えとした長い磧(かわら)の道を黙々と歩いて行く
師千利休の姿であった。師は足を止め、本覚坊のほうを振り向いて『ここはお
前の来るところではない。冥界に向かう道なのだよ。だからもう帰りなさい。
でも言いたいように見つめた。本覚坊はどこまでも師にお供したかったのだ
が、道が京の町の聚楽第に続いているのに気づき、自分などが踏み込めるよう
な容易な道ではないと悟り師に深々と頭を下げお別れした
本覚坊は東陽坊と別れた後も師利休と太閤秀吉との因果が気になってしょうが
なかった。

第二章
本覚坊ある冬の夜の回想から始まる。場所は山崎の妙喜庵。そこには師利休、
兄弟子の山上宗二、そしてもう謎の人物が一人いたのであった。本覚坊は手燭
(てしょく)を持って次の間に控えている。ここで宗二から無ではなくなら
。死ではなくなる。」と烈しい言葉が発せられ、しばらくして利休は低い声
で何かを呟いた。
 
狭い茶室を死のような静けさが覆う中、沈黙が破られ師から「手燭」の声が
かかる。本覚坊が襖の間から燭を差し出すと、には大入道を彷彿する影が映
し出され、本覚坊を威圧するかのように圧倒してきた。本覚坊は、師の前であ
のような物言いをできたのは宗二をおいてないと考えたが果たして三人目
人物は誰だったのか、あの席で何があったのかを考えながら本覚坊はむれぬ
夜を過ごした

第三章
古田織部伏見の屋敷に招かれた本覚坊のことが中心となっている。織
部は利休没後、秀吉に取り立てられ、利休の後継者とも見られながらも一方で
利休の茶をすっかり変えてしまったとも言われていた。織部はここで利休形見
の茶杓を本覚坊に差し出した。彼は茶杓を利休の位牌替わりに拝んでいたの
あった。本覚坊は涙があふれるのを禁じ得ず感慨にむせぶのであった。ここで
二人は利休が死に際した時の気持ちを推し量るが本覚坊は「の気持ちは痛い
ほどわかっていても口に出しては言えない」と伝えるのであった。

第四章
本覚坊が商人と一緒に織田有楽(織田信長の弟)を建仁寺に訪ねたこと
が中心となっている。有楽は茶人ではあるが武人という印象が強く、如何にも
信長と血を分けた兄弟らしく武骨で無口な人物であった。遊楽は豊臣との内通
の罪を着せら切腹させられた織部をことを回想し「織部どのは死ぬ時を探し
ておられた。罪に服したのではない。利休どのに殉じたのだ」と言い放ち、本
覚坊の共感を誘う。しかし家の存亡については「固執せず断絶する方がいい」
きっぱりと言い放ったここで有楽は妙喜庵での残る客の一人の人物は利休
弟子の古田織部だと見抜いた。織部も大坂夏の陣で豊臣方に内通したかどで、
利休や山上宗二のように自刃したが、実は三人とも死を誓い合っていたという
のだ。

第五章から終章
利休の孫にあたる千宗旦が登場する。本覚坊は夢にみた利休と秀吉の最期の茶
事の光景を語り始めた。本覚坊は様々な回想の中で太閤秀吉が師利休に下した
切腹の命には朝鮮出兵がからんでいるのではと考えた。そして夢の中に太閤と
師利休が登場する。ここで太閤からは利休に対する切腹命令は取り消されたが
、利休はこれを頑として受け入れず、茶人として守らなければならないものを
貫くために切腹すると言い切った。本覚坊の話が利休の切腹に及ぼうとすると
ころでこのストーリーは謎を投げかけるような形で終局を向かえる。
 
 
 横町読後感想

この作品に登場する利休に使えた弟子の本覚坊は実在の人物であるものの記録
はわずかしか残されていない。よって大くは本覚坊に成りきった靖が想像で書
いたものであり、本覚坊から見た師利休を語っているところが大きな特徴であ
る。また文章のほとんどは本覚坊自身による丁寧な敬語で綴られており、この
ことが茶の世界特有の品格を漂わせ、利休のカリスマ性と相まって本作を一
層至高なものへと押し上げている。
 
文中には茶道具の銘品が数多く登場し、予備知識のない私にはやや難解であっ
たが読み進んでいくうちにやがて本覚坊の夢と現実とが一緒になったような不
思議な世界の中に我が身を置くような錯覚を感じ、一気にストーリーに引き込
まれていった。

第一章に登場する東陽坊は利休の晩年に発せられた言葉を本覚坊にこう伝えた。
「侘数寄常住、茶之湯肝要」(茶の心は四六時中寝ても覚めても忘れてはいけ
ない。そうして茶を点てることが肝心である)。茶に命を賭けた利休らしい言
葉である。やはりこの時代の茶は単に心の平穏や静寂をもたらすものだけでは
なかったようだ。
 
千利休、古田織部、山上宗二、千宗旦、織田遊楽など著名な茶人とともに石田
三成、伊達政宗、細川三斎、毛利輝元、蒲生氏郷、明智光秀、柴田勝家などの
戦国大名が随所に出てくるところが興味深い。この時代の武将はただ剛毅なだ
けでは通用せず、茶の心を知ることが大きなステータスでもあり、そこには武
人として進むべき道である文武両道の目指す一つの到達点を感じる。
 
戦国の世の茶は現代のような穏やかなものでなく、戦で明日の命さえわからな
い武将が嗜むに相応しい死と隣り合わせのものが存在したと解釈する。利休は
武人ではないが命を賭ける対象が茶であり、それは武将の意味するところの戦
と同義のものであった。本書を読んでこのように感じた。
 
最後に本書のメインテーマであるが、利休の死の謎に迫ったものと言いたい気
がするが、あえて私は利休の死後、三十年を師の追悼に服した本覚坊のひたむ
きな生き様のほうにスポットを当てたい。
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