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奇跡的な確率で乱世を生き抜いた一人の男とは? 
本文に入る前にこの写真をご覧頂きたい。昨年2013年の11月3日に石巻市で行われた伊達武者行列に参加し、大内定綱に成りきっているわたくしである。大内定綱と言っても聞きなれないかたが多いことだろう。きょうのエッセイには何故わたしくしがこの武者に成りきったのかを書いているので宜しければご一読頂きたい。
 
※本記事の情報は①ウィキペディア②司馬遼太郎「馬上少年過ぐ」③山岡荘八原作ジェームス三木脚本NHK大河ドラマ「独眼竜政宗」をもとに私が編集し、私見を入れてエッセイにしたのもです。

  歴史エッセイ「大内備前定綱の希なる生き残り」
最近、司馬遼太郎の時代小説「馬上少年過ぐ」を読んだ。ストーリーの一部は山岡荘八の「独眼竜政宗」と類似しているが、主に秀吉の臣下に降る前の伊達家の内幕と仙道筋(塩松郡:福島県中通り地方の一部)での戦に的を絞っている点に興を引かれた。際立って面白いのは当初政宗と敵対しながらも後に政宗の家臣となった一人の武将について詳しく描かれている点である。彼の名は大内備前定綱。彼のことは後から触れることにして、先ずは彼の主君である伊達政宗に対して司馬遼太郎がどのような目で見ているのか述べたい。

『馬場少年過ぐ世平らかにして白髪多し残?天の赦すところ楽しまざるをこれ如何せん。』(馬上の少年も幸いなことに無事に世を渡り、最近は白髪も目立ってきた。ここまで生きてきたからには楽しまずしてどうしよう。)
 
これは天下取りへの最後の望みであった慶長使節派遣も失敗に終わり、悟りの境地に達した政宗の晩年の頃の穏やかな心境を語った句である。これは武人としては稀なる教養とセンスを持ったものであると高く評価されている句である。更に下の句として、
 
『四十年前少壮の時功名 聊 復 自 私に期す 老来識らず干戈の事 只把る春風桃李の卮』(若い頃は天下に志を持ち戦いに明け暮れたが、やがて世は天下泰平になり我が身もすっかり老いてしまった。全ては過去のことである。かつての老雄は桃李のもとで酒を嗜み、穏やかに春風を愛でている。)と続く。


司馬は作品中で政宗のことをこう語っている。彼は梟雄(きょうゆう:猛禽であるフクロウを捩って言われたとされる)と言われ、三国志の曹操の如く、必ずしも善良なる英雄とは言い難い。転じて猛々しくも権謀術数(けんぼうじゅっすう:謀略に優れずる賢い様)に走った武将としているのである。しかし政宗の凄いところはこれだけではない。この時代を振り返れば、このような武将は数多く存在したわけで、そのほとんどは攻めつぶされた者ばかりであるが、彼はすべ辛く立ち回り、つぶされそうになりながらも踏ん張り、つぶされなかったのである。
 
知恵と才覚で築き上げた伊達六十二万石、彼は豊臣秀吉と徳川幕府に使えながらも外様大名として大藩の呈を成し、生き残ったこと自体、奇蹟とも言えるのかも知れない。フクロウに例えられるのはお家存続のためには手段を選ばない非情とも言える手法(弟を切り(一説には切ったように見せかけて関東方面の寺に逃したとする有力説あり)、父を敵ごと鉄砲で撃った…)にあるのではないだろうか?

さて、このへんでもう一人の権謀術数を極めた強者に話を移そう。この「馬上少年過ぐ」には天下を目指した政宗が最も熱き思いを馳せたころの仙道筋(現:福島県中通り)での攻防が語られている。そこに登場するのが大内備前定綱(以後定綱)である。
 
奥州大内西国の周防大内氏の枝葉が日本各地に散らばり福島県中央に流れ着いた末裔とされる。伊達世臣家譜によると定綱の祖父は優婆塞(修行者)で月山辺りに巣食っていた山伏が居着いたのではないかと言われる。大内氏は定綱の父、義綱の代に塩松(四本松)や小浜(何れも福島県中通り)に進出し、地侍を次々に攻め潰して小手森(後に伊達政宗による大量虐殺のあったところ)、月山、岩宿、新城、撫山、月館の領主となり、隣国の田村氏の内応工作に応じて主君石橋尚義を追放し、塩松領主となって田村氏の旗下に属した。

その後家督を継いだ定綱は、田村、大内両家の家臣同士の争いの裁決に対する不満から、田村氏からの独立をもくろみ、天正10年(1582年)、伊達輝宗の相馬攻めで小斎城を攻略した際に、輝宗の陣に参上して伊達傘下に入り、以降は対相馬戦に度々従軍した同じ頃、定綱は二本松(現:福島県二本松市)城主畠山義継の子国王丸に娘を嫁がせ血縁関係とする。畠山義継と結んだ定綱は天正11年(1583年)、田村領の百目木城主石川光昌を攻撃、田村氏と対立していた蘆名盛隆の支援を受けて田村清顕を破り独立を果たした

ここまでもかなり険しいものを感じるがこの後も只者でない変わり身の速さを見せている。天正12年(1584年)に政宗(正室は田村清顕の娘・愛姫)が伊達家の家督を継ぐと、定綱は政宗の家督襲名の席に真っ先に訪れ、伊達氏への奉公を表明している。これは伊達家の力を評価しての行動であり、政宗の器量を伺いに来たとも思われる。しかしここで政宗はまんまと一杯食わされるのである。すぐ戻ると称し自領(塩松)に帰った彼は二度と米沢には戻らなかったのだ。「定綱は伊達を舐めている。定綱討つべし!」、背任を働かれた政宗はもちろん、伊達家の家臣はくせ者定綱に激しい嫌悪と怒りを露にした。

年の天正13年(1585年)、政宗は田村氏に加担して定綱を攻撃し、小手森城で撫で斬りを行うなどして定綱を追い込んだが、定綱は小浜城を放棄して二本松へ逃れ、更には会津の蘆名氏を頼った3年後の天正16年(1588年)、郡山合戦の際には蘆名氏の部将として苗代田城を攻略するが、伊達成実(伊達政宗の従兄弟)の誘いに内応し弟の片平親綱と共に伊達氏に帰参することとなった
 
※独眼竜政宗に於ける大内備前定綱(左)と伊達政宗



 
 
 
 
 
 
 
 
それにしてもなんとも凄まじいばかりの謀略ぶりであるが政宗もよく堪忍袋の尾が切れなかったものである。逆に言えば小国の主はここまですべ辛く立ち回らないと生き残れない時勢だったと言えるのかも知れない。この男は周囲の力関係で己の奉公すべき主人を決めていたきらいがある。それ故、伊達家とその敵対する大名を行ったり来たりしたのである。但しこの男は単なる風見鶏ではなかった。頭脳明晰でありかつ弁も立ち、他の地域の武将へのコネもいっぱい持っていた。政宗がこの男を殺さずに家臣として抱えたのはそのような理由があったからである。

政宗は父輝宗を亡くした際、敵であった二本松城主畠山善継の遺骸を切り刻み再び蔓で結び合わせて数日晒しているがこの大騒動の基となった定綱を討たなかったのである。但し伊達成実(政宗の従兄弟)の説得で伊達藩に内応した定綱は二度と寝返ることはなかった。秀吉の命令による小田原の北条討伐にも彼は政宗に同行し、政宗遅参の疑惑解明に一役買っているのである。そして数々の戦で勲功を立て政宗の絶大な信用を得ることとなった。

こうした定綱の波乱万丈とも言える生涯を見ると、伊達政宗という武将は実力重視でその武将を評価し、臣下に置いた傾向があったと感じる。定綱は以後、摺上原の戦いや葛西大崎一揆鎮圧、文禄、慶長の役にも従軍して功績を立て天正19年(1591年)、政宗が岩出山城に転封された後、胆沢郡に一万石の所領を与えられ前沢城主となった。政宗の片腕とされた片倉小十郎景綱でさえ一万三千石であり如何に彼が評価されていたかが伺い知れるのもである。政宗に忠誠を誓いその半生を捧げた大内備前定綱はこうしてその波乱万丈とも言える生涯を閉じた。彼が戦国から徳川の世へと彼が生き伸びれたのは主君政宗以上に奇跡中の奇跡と言えるのかも知れない。
 
本ブログの伊達政宗の研究シリーズ
十万石の大名抜擢を蹴った片倉小十郎http://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/32048810.html
片倉小十郎が仙台藩に及ぼした功績http://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/32338831.html
政宗の頼れる叔父留守政影と利府城http://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/32145481.html
宿敵相馬との戦い編(TV版http://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/31963858.html
伊達政宗ヨーロッパに賭けた夢http://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/31769819.html
政宗の相馬攻め初陣(現地取材版)http://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/31623451.html
隠遁させられた曽祖父稙宗の謎http://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/31614105.html
【新説】弟を殺害しなかった政宗http://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/31532509.html
【通説】泣きながら弟を切った政宗http://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/19616687.html
戦国における伊達と相馬との関係http://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/31525745.html
生涯で四千通の手紙を書いた政宗http://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/31481784.html
伊達者の語源となったいでたちhttp://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/32104597.html
砂鉄からの製鉄、丸森の筆甫製鉄所http://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/31618295.html
政宗が現代に残した名木http://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/31226129.html
伊達家の守護神片倉小十郎と白石城http://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/31099358.html
中山鳥瀧不動尊の政宗伝説http://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/17730885.htm
伊達武者甲冑を着けての行列参加http://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/32214919.html
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