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支倉常長の帰国と主君政宗への報告
これは去る2007年12月NHKTVで放映されたその時歴史が動いた。「伊達政宗ヨーロッパに賭けた夢」の一場面である。
 
時は1620年8月26日、政宗が派遣した慶長遣欧使節団を率いた支倉常長が帰国し、仙台城で政宗に事業の首尾を報告するシーンである。番組にセリフはなかったが、このとき常長は「拙者の力及ばず、殿の御意に添うことが出来ず誠に申し訳ございませぬ。」とでも語ったのではないだろうか?
※仙台城の座敷で政宗に平伏して交渉失敗を告げる常長

常長も不本意であったろうが、政宗も幕府のキリシタン弾圧の流れには逆らえず、落胆したことだろう。恐らく政宗の最後の天下取りへの夢が消え失せた瞬間だったのではなかったのではないだろうか?
 
 ※以下伊達治家記録巻之二十八より抜粋
『支倉六右衛門は南蛮の都に至り、ローマ法王に謁見し数年逗留した。そして今年ルソン(マニラ)より便船に乗って帰国した。彼が持参した品物の中には法王の画や自分自身の画(十字架の前で祈りを捧げる構図のもの)等が含まれている。この南蛮国の事物並びに六右衛門の話は誠にもって奇怪なり。』
 
これは政宗の家臣が帰国した常長のことを描いたものであるが幕府を意識しての記述内容とも受け取れるものではないだろうか?とにかく支倉のことはひた隠しにして、しらを切り通さねばならなかったことだろう。

さてここからは1988年放映のNHK大河ドラマ「独眼流政宗」で帰国した常長が政宗と謁するシーンである。画面には映ってないが小十郎や成実ら重臣が控える中での謁見である。常長の着ている南蛮服に注目。この辺は「その時歴史が動いた」とは異なるシチュエーションである。
※支倉常長役:さとう宗之

政宗は常長がキリシタンに改宗したことを知り「南蛮のことはもう忘れろ」と語り、蟄居(外出を禁止し謹慎させる処分)を言い渡した。
 
この時政宗は複雑な気持ち(常長の7年間の奉公は忠誠を貫いた以外の何物ではなかったもののキリシタンに改宗したことを幕府に知られたら大変なことになる。)であったことだろう。

時代の波に弄ばれた一人の侍の後姿はなにか虚しさ、寂しさが漂うものがある。
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