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     エッセイ「戻った山高帽」
それは四連休最後の日だった。私は大阪で牧師をしている旧友と一年半ぶりに再会を果たした。仙台駅東口の居酒屋で会食し話も弾み、もう一軒梯子して酒も進み、日中ながら深酒に及んだ。彼とは二時間近く会食し次の再会を誓い、夕方帰途についた。
 
座席に座ると、まもなく列車の揺れと暖房も手伝い、私は睡魔に襲われた。どのくらい眠ったのだろうか?気がつくと列車は見慣れぬ風景の駅に止まっていた。どうやら乗り過ごしたらしい。私はあわてて列車を降りたが、しばらくは寝過ごしたことへの後悔が気持ちを支配し、諦めて折り返しの便を確認しようと列車運行表のところに行った時に初めて忘れ物に気がついた。
 
それは一年近く愛用している山高帽である。安物ではあったがデザインが気に入っていたものであった。私は半ば諦めつつ紛失を覚悟の上で駅員のかたに列車の行き先を確かめた。そのかたは電話で終点の駅に連絡し帽子の特徴を伝え、もし見つかったら連絡するように手配して頂いた。
 
帽子が座席に残っているのを確認できたのはそれから20分後であった。それからその駅に向かう列車を寒いホームで30分間待った。そして紛失してから1時間半後に再び対面を果たした。例え安物であってもこの帽子は私にとっては掛け替えのない宝物のような存在であり、愛着ある品である。安価ではあるが二つとないものであるし、第一物の価値は価格だけでは決めらない。



私はこの帽子が見つかり再び自分のもとに戻ったことを偶然とは捉えていない。その背景には我が国が儒教の国であり、正しい倫理観があった故と捉えている。そういう意味で苦い経験ではあったが掛け替えのない経験でもあった。「今後は二度とこんな失態を繰り返すまい。」私はそう心に念じながらも爽やかな気持ちで帰路に着いた。
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