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  •      論語のルーツに迫る

野間文芸賞受賞、井上靖1987年発表長編小説「孔子」概要
 
ストーリー上での筆者の篶薑(えんきょう)は孔子一行の臨時雇いとして雑用係となり一行に関わることとなった。篶薑は宋都に入る前、止宿しようとした無人のあばら家で一行の極めて異様な光景を目の当たりにする。それは稲妻や雷鳴、豪雨にさらされつつも、これを一切避けようとせずこれを受け止め端坐して夜を明かそうとする姿であった。これによって彼は孔子が如何に特殊な人間であるかを悟り、師事することを決めた。

      孔子(紀元前552~同479)

春秋時代の中国の思想家、哲学者。儒家の始祖。実力主義が横行し身分制秩序が解体されつつあった周末、魯国に生まれ、周初への復古を理想として身分制秩序の再編と仁道政治を掲げた。孔子の弟子たちは孔子の思想を奉じて教団を作り、戦国時代は儒家となって諸子百家の一家をなした。孔子と弟子たちの語録は『論語』にまとめられた。

篶薑は孔子の35歳年下で外弟子のような立場でありながら師(孔子)からは高弟と変わらぬ公平な処遇を受けることとなった。ここからは孔子との行脚、孔子没後の回想を中心にストーリーが展開される。その中には孔子の発した数々の名言が紹介されている。特に「仁と信」、「天命について」、「人の道」など、人間にとって重要な問題に対し、孔子はこれらに触れてはいるものの、多くは断言を避け、弟子を含めた後任の者に問いかけるようなものとなっている。
 
篶薑は山中の自宅を「孔子研究会」の場に供し、参加した人々による発表、討論が行われる。その中で唯一の愛弟子であった篶薑は亡き孔子の発言主旨や兄弟子たちの人となりについての発表を行い、これによって孔子の思想や彼の実像が2500年という気の遠くなるような時空を経ながら、鮮やかに現代に蘇る構成としている。

      読後感想
現代に生きる我々はその煩悩によって様々な雑念に見舞われ、悩み苦しむことがある。そんな時にこれを和らげてくれるのが思想、哲学である。そういう意味で私は三十台半ばころから論語に注目してきた。東洋を代表する思想と言えば儒教に始まる論語が有名である。論語は全20編から成り、孔子の死後三百数十年を経て後継者らが中心となって纏めたものである。

論語は孔子の死後2500年を経てもまったく色褪せないばかりか、更に輝きを増すものとなりつつある。論語は多くの人を煩悩から救い、生きる教本としても使われてきた。何を隠そう私もその論語に引かれた一人である。一般的に孔子と言えば聖人の域に達した人物と捉えられるが、実際はどんな人物だったのか知りたいかたも大勢おいでになることだろう。この素朴な疑問に見事に応えた作品が本著である。
 
靖が亡くなる4年前の80歳、彼は食道がんの手術の後にありながらもこのような大作を発表している。このとき彼はこの作品が彼の最後の作品になるのを百も承していたのではないだろうか?そして恐らく、この作品を纏め上げた暁には命を落としてもいいと思いながら、余命を削って気力を振り絞り執筆に及んだのであろう。
              井上 靖(1907~1991)

孔子の言葉は解釈が難しく東洋思想の専門家でも意見が一致しない部分があると言われる。まして2500年前の人物を書くとなれば必然的に想像の割合が多くなってくる。従ってこれを書くには筆者自身の力量、実績が大きく問われるはずである。恐らくこの想像の部分には靖自身の人生観(真の天命とは、勤勉の尊さとは、人にとっての正しい道とは)や倫理観が相当入ったのではないだろうか?
 
本書を読むことで一層論語に対する興味が深まり、内容が身近に思えるようになったのは事実であり、実人生に於いて悩みを抱えた時や失望に至った時の大きな心の拠りどころとなるのは間違いないだろう。
 
最後に本書の中で心に残った言葉をダイジェストで掲げる。(一部現代語解釈)
1、「天命を信じて人事を尽くす。人事を尽くして天命を待つ」(孔子)
2、「知者が民を治めるには人民が正義とするところを尊重し、鬼神など信仰にまつわる問題は敬意を表すだけにとどめ、遠ざけて深入りしないことが肝心、これぞ知の政治なり」(孔子)
3、「迅雷風烈に面を打たせ、心を打たせ、天地の心の静まるを待つ」(稲妻や雷雨に面した孔子の心を推測した篶薑の言葉)
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