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藩政時代の栄華を彷彿させる仙台市南部の豪商
先週の土曜日(2月1日)のことだった。若林図書館の帰り道、私は道すがら、以前から気になっていた或る建物に目を奪われた。

表通り(奥州街道:現南材木町)からのビューである。私が訪ねた時は偶然にも東北工業大学の見学が入っていた。ここで私は意を決してオーナーと直談判に及び、古民家研究の主旨とインターネット掲載を事前に説明し、快諾を頂いた。忙しい中、時間を割いてまで私に説明して頂いたオーナーのH氏の御厚意には改めて御礼申し上げる次第である。
 
土蔵はかつて店舗兼勘定所として使われたとのことである。恐らく近郊の農家からの穀物を買取り、小売りしたのではないだろうか?この時代の建物は門構えでその家の格式がわかるが、まさに名家に相応しい堂々とした門構えである。

H邸の位置を航空写真で確認して頂きたい。南材木町は今でこそ裏通りとなったが藩政時代は奥州街道という大動脈であった。藩政時代の南材木町は今のように長町地区とは繋がっておらず、仙台の最南部という位置づけであった。

今の南材木町、藩政時代から昭和中期くらいまで、ここは目抜き通り兼商店街として多くの人々で賑わったに違いない。尚、道路左側のPと書いているところの建物は以前紹介した古民家(商家)である。東北工業大学の学生さんらはこの建物の見学も同時に行っていた。
 

H氏によると、奥州街道側の土蔵は明治の建築、この母屋は昭和初期の建築(増築)とのことであった。

H家の人々、服装などから昭和初期の撮影と見られる。四分の三世紀(推定)を経ても今とほとんど変わっていない。

臥龍の松、なかなか風流な趣があるが、これは非常に手の込んだご先祖こだわりの植栽とお見受けした。

H氏の説明によるとこの踏み石は以前は石臼として使われていたものとのことであった。

家紋らしき模様が入って棟瓦であるが、残念ながら一昨年の震災で壊れてしまったとのことであった。H氏によると家紋の右側には鬼瓦が付いていたとのことであった。

門の内側から奥州街道を覗いてみた。傘つきの電灯も昭和初期のものと思われる。

これは下屋の洋館であるが写真から判断すると母屋と同じ時期(昭和初期)の築年と推測される。このあたりはかつて訪れた塩竈の亀井邸と酷似している。和洋折衷はこの時代の名家の証でもあり、大正ロマンとも言えそうである。

これは母屋と洋館を繋ぐ玄関に付けられた窓である。中庭から見れば明らかに和風である。

同じ窓を内部から見てみた。隣の洋館を意識した角形のデザインとなっている。このあたりはデザイナーのセンスが光る部分である。

H氏の説明ではここは土蔵(築年:明治)と母屋(築年:昭和初期)との境目とのことであった。

次回は建物内部を中心にお伝えする予定である。
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