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東北学院大主催「牡鹿半島の暮らし展」IN鮎川
※日時指定投稿
最初にお断りしておくが、これは去る1月12日(日)に取材した記事である。宮城県牡鹿半島の石巻市鮎川地区は3年前の震災の津波で壊滅的な被害を受けた。多くの住居が失われて生活用品の多くが流失し、これらは人々の記憶とともに無くなろうとしていた。これに着目し、後世に語り継ごうとしたのがこの展示会である。本ブログでは今回から二回に分けてこの鮎川の往時の豊かな暮らしぶりが偲ばれる物品(流出物を含む)を紹介する所存である。尚、展示会の開催場所は仙台市青葉区図書館のメディアテークの一階ホールである。

展示会の全景、左隅では教授と思われるかたのフォーラムも開催されていた。

まずはこの鯨の髭をご覧頂きたい。鮎川(元鮎川町)はもともと鯨の水揚げで賑わった港町であった。

この髭は書物をして装飾にしたり、刷毛代わりに使ったようだが鯨は頭の先から尻尾までほとんど捨てるところがないと以前に聞いたことがあった。

鮎川の地理的な場所をgoogle航空写真で確認して頂きたい。鮎川は石巻川の内海に面し、網地島の陰になっており天然の良港であったことがよくわかる。
牡鹿半島を説明するならばブドウの房という概念を思い浮かべて頂きたい。一つ一つの漁村はブドウの実でありこれを道路が繋いでいるのだ。それは藩政時代から変わらぬ概念と言ってもよい。
 
それだけに実の一つ一つが神秘に包まれている。思うに昔は閉鎖性や独自性が強かったと察するのである。

鮎川のアップ写真。このスケールだと津波の被害はわからない。

これは2009年に私が撮影した鮎川の連絡船桟橋周辺の写真である。捕鯨条約で鯨漁は打ち切られやや活気を失ったものの、かつての港町の繁栄の片鱗を感じさせるには十分なアングルである。

2011年3月11日、津波に襲われる直前の鮎川。(YOU TUBEより)
動画はあまりにも生々しいので静止画での掲載とした。

多くの建物が流されエネオスのスタンドもこれが最後の瞬間となった。
明治時代から築き上げてきた豊かな町が津波に飲まれるのは誠にもって見るに忍びない、否耐え難い光景である;無念;

この航空写真のアップをご覧頂きたい。多くの建物が流され残材の片付けが済んだ今は空き地が広がるばかりである。赤は現在仮設住宅となっている場所である。

さて悲嘆に暮れてばかりは居られないので展示物を紹介する。これは漁具と見られるが大学側では用途や名称を把握していないようであった。
私には車やバイクなどに装着するタービン(ターボチャージャー)そっくりに見えた。

これは笊と似ているが「みかご」である。昔はこれに魚などを置いたのだろう。

鮎川は漁業の町だがそれだけではない。これは農家が使った木製の脱穀機である。恐らく昭和中期あたりまでは使われていたのではないだろうか?

長持は女性が嫁入りするときの必需品であった。伝統や家柄への拘り。長持ちにはDEEPなものを感じざるを得ない。そしてその背景には多くの人間ドラマが存在することだろう。

昔は長持の数が家柄のステータスであったようである。

これは仙台箪笥だろうか?この箪笥ももちろん嫁入り道具の一つである。果たしてどんな女性が使ってどんな人生を歩んだのか非常に気になるところである。

座式机である。明治、大正、昭和中期あたりまで使われたのではないだろうか?
座しての勉強はけして楽にあらず。昔人のひたむきさ、勤勉さを感じる品である。

実を言うと、私が幼い時はこのような木製踏み台は父方の実家にも母方の実家にもあった。昔は全家庭で必需品だったのではないだろうか?大工に作らせた家もあれば自分で作った家もあったことだろう。

次回へ続く
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