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シュトラウスⅡ世 歌劇「こうもり」序曲 小澤征爾 ウィーン・フィル


 エッセイ「時勢とともに変わりゆく街並み」
そろそろ一月も半ばになる。きょうの仙台は最高気温は一度で凍えるような一日だった。かろうじて真冬日はまぬがれたものの、東北でも太平洋側に位置する仙台ではこのような寒い日は滅多にはない。こんな日はいい音楽でも聞きながら熱いコーヒーでも飲みたい。夕方からYOU TUBEをいろいろと聴きあさっているうちにこの曲に出会えた。ヨハンシュトラウスの歌劇「こうもり」序曲である。このような音楽を聴きながら瞑想にふけるのはこの上もない至福の時である。


昨日のことだったが私は図書館の帰り道に連休の気楽な気持ちも手伝い、仙台市中心部を南北に走る晩翠通りを歩いてみた。その命名は仙台市ゆかりの詩人土井晩翠が由来という由緒あるものである。今でさえ4車線の立派な通りであるが、かつては細横丁と言われる細い路地だった。現在の晩翠通りには往時の細横丁の面影などは微塵も感じない。今では整然と整備され中心部はオフィスやホテルやマンションが建ち並び、北部に行くに従い法務局や小学校が建ち並ぶ通りとなった。



このような変わりゆく町並みを横目に見て歩きながら私は自分自身の変わり具合を重ねていた。自分で言うのもなんであるが数年前の自分と今の自分は相当異なるように思っているからだ。数年前、精神的なスランプを経験した私が性格的に変わったことは家族を含め一部の親しい人間にしかわからない。

多分見た目にはほとんど変わらないことだろう。否、厳密には年相応に白髪やシワが増え、口髭をたくわえたから明らかに異なるのであるが、以前の私を知る他人から見れば中身まで変わったようにはとても見えないはずである。一人の人間の他人に対する先入観などはそう簡単には変わるものではないのかも知れない。

実は以前、このギャップに悩んだことがあった。スランプ脱出後に知り合った人は問題ないにしろ、以前から私を知っている人間から見れば「あいつはそんな奴ではなかった。もっと大人しくて静かな人間だったはずだが…」と思うことだろう。しかし私は時が経つにつれてこう悟ったような気がする。「それを意識して人に知らしめる必要はない。」と。

それを力めば無用な摩擦となり、煙たがられることだろう。弱い犬ほど吠えるものであり、人から敬遠されるものである。自分の性格が変わったことなどは私と接した人間にさりげなく気付いてもらえばそれでいいのだ。



時代が経つにつれ、この通りがかつて細い路地であったことを知る人は少なくなってきている。これとまったく同じ道理で、これからは私が以前そのような人間だったことを知る人も徐々に少なくなっていくのであろう。

なにも焦ることはない。私はこのことを自分に言い聞かせつつ、そのような取り留めもないことを脳裏に抱きながら、この通りを最後まで歩き切った。信号が変わったのだろうか?ビル街に一瞬だけ車の通りが途絶え、静粛が訪れた。「そうだ。この静粛(間合い)こそが今の俺に必要なんだ。」今夜は冷え込みそうだが明日も晴天が望めそうである。私は足取り軽く帰途についた。
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