fc2ブログ
  真のジャーナリズムのあり方とは?
※日時指定投稿
善は急げという古い言葉がある。昔人の言うことは概して正しい。私はその言葉通り三連休の初日のきょう、郷里石巻に足を運んだ。石巻はご覧の通り昨日の積雪と午前中の低温で歩道の雪が融けない状態であった。
※JR石巻駅前にてAM9時ころ撮影

市内の積雪はご覧の通り約3センチといったところである。これは兄弟だろうか?津波被害で更地になったところで雪だるま作りに精を出す姿が私の目にとまった。

ここは石巻市の目抜き通り立町である。去る11月3日に私が伊達武者の甲冑を着て練り歩いた通りである。

震災直後はシャッター街と化した商店街は2年9ヶ月を経てここまで回復していた。

私が最初に訪れたのは石巻日日新聞の主催する絆の駅である。

ここで私は一時間に渡って館長(石巻日日新聞社常務取締役)の武内宏之さんと対談した。対談の内容は昨今私が書いた慶長献欧使節の小説「金色の九紋竜とともに」に関することや石巻出身の小説家志賀直哉、その他石巻の郷土史全般に渡るこである。
 
実は震災翌日の2011年3月12日~3月17日、当時報道部長であった彼はチーフとなって電気も水道もなにもない中でこのような壁新聞を作り、報道の使命を遂行したのである。
 
恐らく出社によって自分自身の家族や家のことは後回しになったのではないだろうか?ジャーナリスト魂とはこのようなことを言うのではないだろうか?

石巻日日新聞は日本記者クラブ特別賞を受賞した。同社武内常務インタビュー(58分55秒~1時間28分)はかなり長いインタビューなので、ブログ仲間の皆様に於かれてはご都合に応じて端折ってご覧頂きたい。
この後いつも海の幸を頂いている小売店「プロショップまるか」に向かった。店内は雪のこともあってやや閑散としていた。

きょう私が頂いたのはシャコエビ(¥380)と焼きホタテ(¥150)である。
どちらも最高の品質であった。

このあと、私の生家千石町に近い住吉町の顔なじみの食料品店に訪れた。いつものように、ここでも執筆した小説や郷土史の話に花を咲かせた。

前回も紹介したがこの店は私の生家がよく出前を頼んでしたパレス食堂である。
出前で忙しそうだったご主人ともほんの数分話が出来た。

今日は麺類でなく中華飯¥750(宮城県では中華丼とは言わない。)である。
塩気も控えめで非常にhealthyなメニューであった。

『数百の廻し船入江に集い、竃の煙(往時の塩田のことと思われる)たちつづけたり』松尾芭蕉奥の細道(於:石巻)より
このあと旧北上川河畔を歩いてみた。ご覧の通り、護岸工事が行われていた。

このあと、いつも訪れる志賀直哉生家跡地を訪ねた。ずっと前から売り地となっているが依然として買い手がついてないようであった。

ここは幼い私が祖父に連れられてよく来ていた住吉公園である。明治18年に当時二歳であった直哉も母に連れられよくここに来ていたようである。公園の広場は依然としてシャーベット状態、早くもどんと祭りの置き場の案内が掲げられていた。

この小島は石巻の地名の語源となった巻石のある場所であるがきょうは満潮に近いようで見ることはできなかった。

右側の建物は古くからの石巻の商社とも言える観慶丸という陶芸品を扱っている企業であるが、今回は震災被害を受けたはずの左側の白い建物がきれいに仕上がってきているようで印象に残った。

PM1:30、三箇所で自作小説を渡せて当初の目的は達成できた。やや早いが私は郷里石巻を後にすることにした。非常に有意義な一日であった。
関連記事

トラックバック

トラックバック URL
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)