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 支倉常長、欧州での栄光と苦難の足跡

きょうは去る11月24日に石巻市サンファン館に訪問したときに撮影した絵と写真を掲載し、400年前のヨーロッパでの支倉一行の足取りを改めて顧みることにする。
 
ここは使節団が船出したとされる石巻市月浦である。左が牡鹿半島側、右は小出島、1613年の10月28日、専門家の意見を考証すると船は満月の晩、引き潮を利用して百メートルほどしかないこの水道を通って太平洋に船出していったと考えらている。私の歴史小説にも登場した部分である。

展示されていた写真を撮影した写真家を紹介する。関口照生氏は女優の竹下景子さんのご主人でもある。同氏は支倉の足跡を辿ってメキシコやスペイン、ローマに渡り写真を撮影してきた。

スペインでは最初にこのサン・ルカールに入港した。大国の港だけあって既に400年前にはこのような砦が築かれていたようである。きっと支倉も同じような光景を目にしたのではないだろうか?

大西洋を横断した一行はキューバ経由でこの港に入港したことになる。セビリア、マドリードとの位置関係を確認して頂きたい。コリア・デル・リオまでは川を遡っているがこの辺の情景は小説と併せてご覧頂くとよりイメージが湧くものと思う。

当時のセビリア、川に沿って発達した都市のようである。支倉の往時の行脚が偲ばれる。尚、セビリアは同行したソテロの出身地でもある。

欧州における主なルートである。フランス領サン・トロペも数日訪れているがこれは船が嵐に遭遇したためのもので全くの偶然であったようである。

支倉が馬で移動したとされるアンダルシア地方の牧草地はこのような情景だったのではないだろうか?

峠にはこのような殺伐とした荒地も広がっていたようで苦難の旅を彷彿させる。支倉はおそらく武士特有の強靭な精神力でこのような難所を乗り切ったことだろう。

マドリードで国王と謁見した後、支倉はこの王立女子修道院で洗礼を受けている。

スペインから地中海への船出はこのバロセロナからであった。四百年前にしてはすごい発展振りである。おそらく支倉らは度肝を抜かれるような気持ちでなかっただろうか?

イタリアのジェノバは港の背後に山が迫っているような土地柄らしい。サンファン号と良く似た船が見られるがこれは画家のイメージである。

チビタ・ヴェッキアここはローマも近く法王のお膝もとであった。それにしてもスペインのガレオン船が圧巻である。左端に支倉ら一行と見られる人物が数名描かれている。

当時のローマは既にこんなに発展を遂げていた。但し文献によると道は今よりもだいぶ細かったらしい。

支倉らの入市式、まさに感動が伝わってくる。

入市式は百数十名にも渡る大行列であったらしい。

絵や写真を通して往時の支倉の足跡を少しでも感じてもらえば幸いである。
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