fc2ブログ
本日、偶然にも自分のルーツに関わる公共サイトに遭遇した。検索は’石巻南浜地区 大正時代’でヒットするようだ。念のためURLはhttp://www.thr.mlit.go.jp/bumon/b06111/kenseibup/memorial_park/miyagi/common/file/miyagi_committee04_05.pdf#search='%E7%9F%B3%E5%B7%BB%E5%8D%97%E6%B5%9C%E5%9C%B0%E5%8C%BA+%E5%A4%A7%E6%AD%A3%E6%99%82%E4%BB%A3'
である。国土交通省、宮城県、石巻市の連名となっている。

目次はご覧の通り至ってシンプルである。

これが吉田松陰が訪れた年の石巻絵図である。1852年3月9日(嘉永5年5月16日)に松蔭は仙台藩士・粟野杢右衛門の屋敷に泊まったとされる。(これはNEWS石巻かほくの情報だが、石巻市教育委員会の看板と一致)

この絵図を見て驚くのはとにかく船の数が多いことである。天明8年(1788年)に、石巻を訪れた古川古松軒は、次のように述べている。「石の巻は奥州第一の津湊にて、南部・仙台の産物この地へ出て江戸に積み、大阪へ廻るゆえに、諸国よりの入船数多にして繁昌の湊なり」(『東遊雑記』)

吉田松蔭が石巻を訪れたのは、古松軒訪問の64年後のことであった。松蔭の石巻訪問の目的は「日本の国力を自分の目で見定めること(国情の調査)」であった。相当の歴史マニアのかたでもこの絵図を初めて見たというかたは多いのでないだろうか?

これは日活パール(成人映画劇場)の場所にあったと言われる。ここには仙台藩士・粟野杢右衛門の屋敷があり、松蔭は粟野を頼ったと言われる。

住所:石巻市中央1丁目

これは大正二年(1913年)の地図である。祖父は1890年生まれゆえ、祖父が22~23歳頃(独身時代)の地図である。祖父の実家の大街道(釜)地区は左側の辺りである。水田、湿地、桑畑、果樹園などの散在は、郷土資料「石巻の歴史」との符合を見るものである。

この地図は大正15年の石巻町全図である。父と叔父が生まれたばかりの頃の地図ゆえ、大変感慨深いものを感じる。生家の横町(左上のほう)には堀らしきものが描かれており、堀が埋め立てられたのはどうも昭和初期らしい。

横町挨拶
吉田松陰は日本史にも名前を残した著名な人物ですが、彼が石巻に泊まったのは石巻人として誇れるものと認識しております。それだけ往時の石巻は着目されていたということになります。出来れば近いうちに松蔭が泊まったとされる日活パール座の辺りを訪れてみたい気が致します。本日も最後までご覧頂きありがとうございました。

関連記事

トラックバック

トラックバック URL
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)