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 歴史小説「金色の九曜紋とともに」
 第二話「 太平洋に挑む
 文明の利器もなかったこの時代に500トンもの大船を無事に沖に送り出すには三つの条件が必要であった。一つ目は引き潮を利用すること。二つ目は適度な風が吹いていること。三つ目は大安吉日であることであった。そしてこの三つを満たす日が西暦1613年10月28日であった。この出航日の決定にあたっては事実上のブレインとも言えるビスカイノの進言があったのである。そしてついにこの三つの条件が揃う日が来た。



その日(西暦1613年10月28日)は満月が月浦の入江を煌々と照らしていた。風はやや弱いながらも北西からの追い風であった。南北の斜面に建てられた漁師の掘立て小屋からは漆黒に光る船体がはっきりと見え、周囲に威圧感と緊張感をもたらしていた。そのような中、戌の刻(20時)を迎えたサンファンバウティスタ号は追い風を少しでも受けようと帆をいっぱいに張り、わずか陸地と一町(約100メートル)しか離れていない小出島との水道を通って半島の南側に沿って船出していった。



船が沖合に出ると静まり返った半島が月明かりの中に黒い影となって不気味な魔物のように横たわり、大船の行く手を追いかけるようにいつまでもついてくるのであった。支倉はこの半島を横目に追いながら、天空に散りばめられた無数の星の一つに自分の運命を重ねた。そして家に残された母や妻子を思い「己は果たして祖国の地をもう一度踏めるのだろうか?」と真剣に考えるのであった。

サンファンバウティスタ号は金華山の南方を通過すると難なく黒潮の流れに乗ったが、シベリアからの季節風のほうが船をより遠くまで効率的に進めてくれていた。前世紀(16世紀)には既にスペイン人によってマニラガレオンという太平洋を環状に周回する航路が開拓されていたものの、日本からアメリカ大陸の航行の前例は極端に乏しく、老獪なビスカイノの航海術をもってしても侮れないものがあった。この季節は台風こそないものの、時折発生する低気圧が帆船に牙を向き、これを海中に引きずり込むことはけして珍しいことではなかった。そしてこの嵐は壊血病とともに船乗りから最も恐れられるもので、どうしても避けることの出来ないものであった。

ここから対岸のメンドシナまでは4,100海里(≒7,600キロ)、目的地のアカプルコまでは6,200海里(≒11、500キロ)というとてつもない長丁場であった。サンファン号の平均速度は約3ノット(時速5.9キロ)。大海原に出て当初はしばらく好天が続き、海は時としてやや荒れたりするものの大した風を伴ったものではなく概して航海には支障のないものであった。希に凪になることもあり船が進みづらくなることもあったが北太平洋海流(黒潮)がその停滞を救ってくれていた。



サンファンバウティスタ号は船出した仙台領月浦からほぼ真東の方角に進路をとり順調な航行を続けていた。ビスカイノとしては今回の航海が金銀島探索の最後のチャンスであったが、島が存在するらしき付近を通ってもめぼしいものは何も見つからず、上陸、探検どころか発見もできないまま日本を離れるしかなかった。ビスカイノについて語るならば彼の部下であるスペイン人水夫についても語らねばなるまい。船乗りと言えば如何にも聞こえがいいが、俗に言えば彼らは社会の屑を寄せ集めたような荒くれどもであったのである。
 
この時代に於ける遠洋航路を航行するガレオン船はいつ海賊に遭遇するかも知れないし、嵐に遭って遭難するかも知れない。彼らは常に死と隣り合わせであった。従って堅気の人間のなるものではなく、酒場のごろつきや前科者、身寄りのない者を寄せ集めてやっと頭数を確保できるものであった。ビスカイノを始めこの時代のキャプテン(司令官、船長)には、このようなならず者に、はったりを噛ませて言うことを聞かせてまとめあげる駆け引きと度量が求められたのである。先の仙台城でのビスカイノの傍若無人とも思える振る舞いはこのようなキャプテンとしての強気な姿勢が現れた故によるものであった。

ビスカイノらの一行のスペイン人船乗りを除いては今回のような長期に渡る航海は初めてであり、その多くはひどい船酔いに悩まされた。船の揺れに慣れる者と最後まで慣れない者がいた。支倉もこの船酔いに悩まされたが侍らしく弱音を吐かず、気分が悪くてもこれを自分だけの範疇に納め人に弱みを見せることはけしてなかった。

天気の良いある日の午前中、支倉は甲板に出てみた。青空を背景にメーンマストには黒地に金色の九曜紋をあしらった伊達家の家紋の入った旗が風にそよぎ、そこから6間ほど離れたところには赤地に逆卍と違い矢の入った支倉家の家紋の旗がなびいていた。伊達家の旗の間近にそよぐ支倉家の旗を見上げると支倉はこの使命の大きさを改めて実感し、殿の抱いた期待を胸に己をふるい立たせようとするのであった。

支倉とソテロには専用の執務室兼船長室とも言える部屋があてがわれていた。ソテロは毎朝粗末な食事を終えると信者に説教するために船底の大部分を占める大部屋の一角に向かうのが日課になっていた。その説教の最後には決まったように「皆さんに神のご加護がありますことを。」という言葉で締めくくられた。『早くメキシコに渡って手持ちの商品を高く売りつけ一旗上げたい。』商人の中にはそのような己の欲望をスムーズに運び、目的を果たすためにキリスト教に改宗する者が少なくなかった。支倉はそんな彼らを横目に見ながらこの地球半周とも言える大行脚の工程に於いて、果たしてどのタイミングで洗礼を受けたら良いのか色々と思案を巡らすのであった。

そのような中でスペイン人水夫と日本人との間にトラブルが起きた。事の発端は船底の大部屋の一角でスペイン人水夫が毎日配給されるパンと煮干魚を自分専用の板切れに載せ小用のため離れた隙にそれがなくなっていたことが引き金だった。俗に食い物の恨みは恐ろしいと言われるが壊血病のメカニズムさえ解明されていないこの時代に「食」は生命を維持する上で大きなウエイトを占めるもので、食糧を奪われることは生命を脅かされるに等しいことであった。
 
いかにも荒くれ男という体格のがっちりしたスペイン人水夫は当初は同じスペイン人水夫の仕業と思い、彼らを追求し、わめき散らし罵っていたが誰も盗んだと白状する者は居なかった。このため彼の怒りは日本人に向けられることとなった。「誰が俺の食糧を取った?盗人め、ぶっ殺してやる!」彼は片言の日本語で怒りを顕にし、近くに居た日本人商人へ罵声を浴びせた。「誰も取ってない。スペイン人の仕業だろう。」一瞬船内に不穏な空気が流れた。船の中で殺傷沙汰が起きれば大変なことになる。

この騒ぎを聞きつけソテロが駆けつけた。彼は事情を察すると自分の食糧をスペイン人水夫に与え、口上を述べた。スペイン語のために居合わせた日本人に内容はわからなかったがソテロが最後に十字架を切り「アーメン」と言ったのでその内容が聖書のものであることが伺い知れた。「ソテロ殿は自分の食糧を人に与える慈悲深いおかたである。」日本人の商人は彼がまるで高僧のような尊い人物に見えてくるのであった。しかしこの事件とて策士のソテロにとっては日本人を信用させ洗礼を促すための願ってもない格好なものであった。

12月に入ったばかりのある日、空模様が段々と暗くなってきた。この時太平洋を横断する今回の航海では最大級の低気圧がサンファン号に襲いかかろうとしていた。北西からの風が一段と強まりうねりは白波を伴うものとなってきた。最初のうちはただ船と共に傾くだけだった船底の積み重ねられた荷物は徐々に揺れとともに動くのでないかと思われるほどの様相を呈してきた。日本人乗員のほとんどはこのような嵐は初めて遭遇するものであり、皆生きた心地がしなかった。

更に船が揺れて船体のきしむ音が聞こえてくると柱や大砲に掴まらないと自分の体を支えきれないほどであった。支倉は殿から預かった大切な荷物のことが急に心配になってきた。メキシコやスペインとの交渉を成就させるには要人への高価な贈り物が不可欠であった。従ってこの荷を紛失させたり、破損させたりすればこの交渉の成り行きに大きな支障が出るのは必至であった。支倉にとってはその重大な任務を考えるとこの積荷を失うのも船が大波を受けて沈むのも事業の失敗には違いはなく、大して変わりのないことであった。万が一、要人への殿の書状を含む重大な積荷を失ってこの交渉が失敗に終われば、その責任を取って武士らしく潔よい行動に出なければならなかった。

夜に入って揺れが更に激しくなった。そしてついには積み重ねられていた積荷が崩れて揺れとともに船底を行ったり来たりして、揺れに弄ばれる乗員を追い掛け回すようにまとわりつくようになった。ビスカイノの指示で船の舳先と船尾には綱で繋いだ丸太が投じられたが木の葉のように大波に弄ばれるサンファン号にはもはや焼け石に水といった感じであった。やがて船内には海水も侵入し積荷が船体に激しく叩きつけられるようになり船内には怒号とも悲鳴ともつかない声が響き渡り、船内は地獄絵と化していた。そんな時キリスト教に入信した者はソテロのそばに沿って十字架を切り命乞いをし、未だに改宗しない者は神仏に祈り、せめて己とこの船の運命が地獄の闇に向かってないことを望み、壮絶な死の恐怖から逃れようとするのであった。

数多くの修羅場を乗り越えてきた強者のビスカイノもついに最後の切り札を出さざるを得なかった。「積荷の中で重いものを海へ捨てろ!」こう叫ぶと彼の部下であるスペイン人水夫は船底の荷を甲板に運び出そうとした。その荷物の中には殿様や大御所から預かった大切な書状や贈り物が入っていた。それを見た支倉は反射的に鞘から刃を抜いた。「待て!その荷は殿から預かった大事なものである。これを捨てるのは殿に対する反逆と見なしこの場で成敗致す。」地獄絵のような船内はこの一言で更に殺気立った。「支倉様、血を流すのはおやめください。」ソテロは支倉のもとに駆け寄ってこう語った。スペイン水夫らは支倉のこの行動に冷や汗を流しつつビスカイノの顔色を伺い、ついには荷の持ち出しを諦めるしかないのであった。

※※※
 
長い長い夜が明けた。昨夜の嵐は嘘のように過ぎ去り朝日が冬の太平洋を金色に輝かせた。昨日の絶望とはうってかわり、この朝日を見る限り支倉には前途洋洋たる未来が開けているように思われた。マストに登った見張りの水夫が「陸が見えたぞ!」」と大声で叫んだのはそれから五日後のことであった。月浦を出港してからは実に二ヶ月が過ぎようとしていた。船乗りにとって長い航海のあとに遭遇する陸地ほど感動的なものはない。未知なるアメリカ大陸との遭遇が彼らを浮き上がらせていた。
 
この時メンドシナの高い山には白い雪を頂いているのがはっきりと見え、彼らの瞼に優雅な貴婦人のような秀峰ぶりを焼きつけた。彼らは宗教や国籍を超えて誰彼となく抱き合い、前途を祝福し広大な大陸と遭遇した喜びと安堵を分かち合うのであった。メンドシナから目指すアカプルコまではほぼ真南の方角でここからは2,100海里(3,900キロ)。ここからはアメリカ西海岸に沿って南下するカリフォルニア海流も流れており、暖かく20度を超える日も珍しくなかった。この真冬にしては暖かい気候が彼らの士気を一層高めていた。

続く
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