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 歴史小説「金色の九曜紋とともに」
 
       プロローグ
伊達政宗はひときわ金と関わりの深い武将であった。言うまでもなくこの時代の金は戦国大名を支える大きな経済基盤となるもので、佐渡島の佐渡金山、山梨の湯之奥金山、宮城の大谷金山有力な大名はこぞって金山を探し当てようと必死になった。政宗もこの一人であった。彼はこの金を秀吉や家康への貢物として、或いは自藩の軍事力増強に用いて、何度もお家存亡の危機を乗り越えてきた。

政宗の金への関わりを語る上で避けて通れない家紋がある。それは九曜紋である。九曜紋は竹に雀、竪三つ引両とともに伊達家の三つの家紋である。(九曜紋は平安時代に盛んであった九曜曼荼羅信仰からきたものと言われている。九曜は古代インドにおいて、卜占に用いられた星で、日・月・火・水・木・金・土・羅●[ラゴ]星・計都[ケイト]星の九つをいい、天地四方を守護し、真言の本尊とされる。星[曜]は天体を変わらぬ規則で巡る星への信仰を形とし、信仰心、とくに武家では武神として崇敬され家紋として用いるようになった。)

この金色の九曜紋は政宗の眠る仙台市青葉区の瑞鳳殿の扉に施されている。九曜紋は政宗の時代から伊達家の家紋に新たに取り入れられたのである。伝統的な竹に雀とは異なり、星をイメージしたこの模様は確かに見る者に何かエキゾチックな印象を与える。そして今から四百年前に180人の遣欧使節団を乗せて太平洋を横断した伊達の黒船、サンファンバウティスタ号の船尾にもこの金色の九曜紋が施されていた。

この使節団が西洋から持ち帰ったとされる金色のブローチは奇しくもこの九曜紋の模様に酷似しており、1974年の遺骨発掘の際、政宗の副葬品として墓から出土している。まさに西洋の港に停泊するのを見越したとも思えるこの九曜紋のデザインはガレオン船に良くマッチする模様であり、金に対する政宗のこだわりの表れとも取れる。また伊達家の三つの家紋の中で、この船に合った模様を論ずるのであればこの模様をおいてないと言っていいほど似合っている。私はここに世界に目を向けた政宗のグローバルな視点を感ぜずには居られないのである。

四百年前の大事業に派遣した使節だが、この使節は各々が様々な思いを抱いた烏合の衆とも言える集団であった。そしてその集団を率いた一人の寡黙で律儀な侍が居た。彼の名こそ仙台藩士、支倉六衛門永経(後に常長)である。幕府によるキリスト教禁教の中で歴史の闇に葬り去られようとしていたこの侍の名は、やがて明治時代の岩倉具視らの欧州行きで再び浮かび上がるものとなり、この慶長遣欧使節団はようやくその存在を広く世に知られることとなった。

また今までこの話をもとにした歴史小説は数作を数えているが、今回発表する「金色の九曜紋とともに」はこれらの作品とは一線を画し、私が主人公の支倉に成りきって、主に彼の視点で見た遣欧使節団を描いたものであることを最初にお断りしておきたい。

ここで私事で大変恐縮ながら、この「成りきり」について触れておきたい。ここで唐突に、もし私が「今のあなたは何が一番欲しいのか?」と人様に聞かれたら即座に「侍のような心です。」と答えるだろう。この世には「成りきり」という言葉がある。人の性格などはそう簡単に変わるものではないとほとんどの人は思っていることだろう。しかしこの「成りきり」だけは全く別である。わかりやすく言えば、その人物に成きることによってそれまでの自分とは全く異なった性格の人物に生まれ変わることができるのが可能になるのだ。

そんな不思議なことが自分の身に起きたのは今から5年半ほど前のことであった。この辺りの心境は前作の「支倉常長と私」にも詳しく書いている。「成りきり」は私がかつて患った躁鬱病の副産物であるのだが、侍に成りきった私に対し、周囲から何か見世物でも見るような好奇な目が向けられたことを感じないわけでもないし、また四百年前に生きた一人の侍との不思議な因果を感じるのである。読者諸兄に於かれては、伊達政宗への忠誠を貫いた或る一人の侍への成りきりこそが、この歴史小説を私に書かせた大きな理由であるのをご何卒ご理解頂きたい。
 

続く
 
索引
金色の九曜紋とともに第一話「波乱含みの幕明け」
金色の九曜紋とともに第二話「太平洋に挑む」
金色の九曜紋とともに第三話「メキシコでの使節」
金色の九曜紋とともに第四話「大西洋を越えて」
金色の九曜紋とともに第五話「セビリアでの使節」
金色の九曜紋とともに第六話「名誉の洗礼」
金色の九曜紋とともに第七話「ローマでの栄光」
金色の九曜紋とともに第八話「最後の望み」
金色の九曜紋とともに第九話「帰国と信仰」
以上は文芸誌「みちのく春秋」に掲載されています。東北各地の図書館でご覧頂けます。
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