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   亡き祖母の面影を偲ぶ供養の旅
いよいよ10月の3連休が始まった。初日のきょうは郷里石巻を訪ねた。目的は二つ、①祖母の23回忌を偲ぶ②慶長使節団出航四百周年記念パーティーチケットの買い取りである。私は以前全線開通してない仙石線(高木~陸前小野間はJR代行バス)に乗り、早朝8時半前に石巻に到着した。

駅前から目抜き通りの立町に出るとこの通り、震災で被害を受けたと見られる鉄筋コンクリートの建物が取り壊されているところであった。震災の爪あとは非常に深いことを改めて思い知らされた気がする。

菩提寺がある旧北上川河口はこの通り、以前は住宅密集地だったところには一面のオミナエシが生えていた。一面の荒地と化した郷里石巻、見慣れた風景とは言え何度見ても心が痛むシーンである。

私は墓で祖母の供養を済ませるとなるべく祖母が存命だったころに存在したと思われる建物を追ってみた。この民家は震災の津波でやられ痛々しいが、建築は明治初期のころであろうか?いや、或いは江戸後期のものかも知れない。
 
この辺りは海運や水産で栄えたところなのでそれに関係した商売でもやっていたのかも知れない。場所的に言っても、おそらく墓参りに行く祖母を何度も見送った建物であることは違いない。

この絵はモザイクタイルで描かれたフランスの中洲の島で以前掲載した時に不あがりさんから『グランド・ジャット島の日曜日の午後』とご教授頂いたものである。
今でも河口のそばの空き地に掲げられていた。
 
百数十年前の19世紀後半の休日の午後を思い思いに楽しむフランスの人々には豊かな心を感じ、非常に驚くものであり流石に文化と芸術の先進国という印象を受ける。それとこの絵をじっと見ていると、状況は異なるもののかつての石巻の繁栄とも重なる感じがする。そう言えば私も中州の島(中瀬)で小学校二年の時に一人で釣をしたことがあった。

旧北上川を上流に向かって歩いてみた。このような工事用の船と重機が入り、大掛かりな護岸工事が本格的に始まっていた。ここは小学校四年の時祖父母とともに金華山(牡鹿半島の先端に浮かぶ島)に旅行した時に船出した場所(船の発着所があった)でもある。この時の思い出は一生忘れない。
 
※詳細は本ブログ、自作小説「祖父からのメッセージ」を参照http://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/23139406.html

もう一度商店街に戻った。祖母との思い出はこの辺りに集中している。あれは物心のついたばかりの4歳のころだった、祖母に手を引かれた私は石巻唯一のデパート(丸光デパート:沿道の右側)の最上階で生まれて初めてソフトクリームを食べた。アイスクリームとは全く異なる食感、こんな美味い食べ物があったのか!これは今でもはっきりと覚えていることである。
 
それともう一つは小学校二年ころ、商工会らしき会議の場(沿道の左側の建物)の余興でコーンスープが出された。おそらく当時の石巻ではその店しか出せないメニューだったのでないだろうか?幼かった私にはこの味わいは大人にしかわからない極めて深いものに感じられた思いがある。三つ子の魂百までもという言葉があるが、祖母から伝えられたこの二つの食べ物は私の食生活に極めて大きな影響をもたらしたと言っていい。
 
私はそんな祖母から一回たりとも叱られた記憶がない。それだけにそれを思い起こすと尋常ならぬ私への愛情を感じ、今でも泣けてくるのである。

このハイカラな建物は石巻人なら知らない人が居ないほど有名で「観慶丸」という陶芸品を販売する有名な老舗である。自作小説「祖父からのメッセージ」にも書いている通り、バスで仙台から訪れた私を祖父母がそろって出迎えてくれた場所である。

現在の「観慶丸」は仲町という場所に建っているが昭和4年以前は横町(現仙石町)の私の生家の隣にあったのは今日始めて知り得たことであった。江戸時代に始まる石巻の繁栄は藩政時代の米の江戸への出荷など、海運による流通に支えられていたことがよくわかる。

グルメを味わうのも供養、これは生前の叔父から学んだことであった。最近行きつけとなりつつある食堂つき鮮魚店で格安(¥380)でゆでた毛ガニを頂いた。

ここも行きつけの中華料理店。揚げ焼きそばは味、ボリュームとも満足のいくものである。

伊達政宗の命を受けた支倉常長率いる慶長遣欧使節団が仙台領月ノ浦港を出港したのは西暦1613年10月28日であった。これはその四百周年を祝う記念パーティー(会場、石巻グランドホテル)の予約券である。
 
ヨーロッパから支倉が持ち帰ったその資料は今年ユネスコ遺産にも登録されたばかりである。私は迷わず歴史的大事業と言われたその日の四百周年記念パーティに参加することにした。今から非常に楽しみである。

復路の電車で私はポケットサイズのバーボンをあおった。少し酔いが廻ってきた。そして私は天国の祖母にこう語りかけた。「お祖母さん、あなたから注いで頂いた愛情は今や私の人格の核と成し得るものと成りました。本当に感謝しています。愛には愛で報わせてください。私はこの恩を子孫に還元する所存です。そして食生活の礎を教えて頂いたことも深く感謝しています。どうか、ゆっくりとお休みください。」

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