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 伊達政宗が最も信望を寄せた叔父、留守政影
昨今NHKの独眼流政宗DVDを観て気になった人物が居た。それは隣国蘆名を攻めた初陣で血気に逸る政宗を「政宗、取り乱すな!」と一喝した人物である。果たして伊達家の当主を呼び捨てにした武将とは一体誰なのか?彼の名は留守政影(長塚京三)である。政影は政宗より18歳年上の叔父(政宗の祖父伊達晴宗の三男)で留守家に養子に出されながらも後に伊達家家臣になった人物である。
 
留守政影は伊達成実や片倉小十郎の陰になりがちでややいぶし銀的な存在は否めないが、政宗直筆の手紙でも「狩に使うので鷹を貸して欲しい…」という親書が現存しており、政宗の父方四人の叔父の中では最も頼りにされた人物である。そしてこの大河ドラマの中ではニヒルで笑わない長塚京三がぴったりと言っていいほどはまり役なのである。
 
留守氏
陸奥国の名族。初代伊沢家景は公家に仕える侍であったが、北条時政にみいだされて源頼朝の家臣となり、平泉藤原氏討伐後の1190年(建久陸奥国留守職に任命され、多賀国府に入部。家景の子孫は代々この職につき、留守を名のることにな。留守氏の所領は国府近辺にあって広大な領域を占める高用名の地頭職であ
 
南北朝・室町期の留守氏は、かつてのような政治的地位を失ったが、有力な国人領主としての地位を維持した。しかし、15世紀初頭から伊達氏の影響力が強まり、次々に養子を送り込まれ、しだいに独立性を失い伊達氏の傘下に入ることとな江戸時代には転封によって本拠地を離れ、水沢岩手県奥州市)の領主とな
 
留守政影(1549~1607)
 伊達政宗の叔父であり家臣。永禄10年(1567)、父・晴宗の政略によって留守顕宗の養子となり、奥州の名族・留守氏を継ぐ。その後、村岡氏や余目氏の反抗を鎮圧すると共に、兄・伊達輝宗や甥・政宗を補佐し、実家の伊達家の勢力拡大に貢献し、各地を転戦する。人情厚く外交手段にも優れていたため政宗の信頼厚く一族の重鎮となる
 
天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原征伐に参陣せず、所領を没収される。同年、岳父の黒川晴氏が政宗のために拘禁されると、その助命を嘆願し許される。その後、文録の役にて朝鮮へ渡海して出陣。帰国後は正式に伊達氏一門に加わる。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、政宗の命により伊達軍総大将として、上杉景勝の攻撃を受けていた最上義光の救援に赴く。
 
後に政宗より伊達姓に復することを許され、慶長年(1604年)、一関万石を与えられる。慶長12年(1607年)、59歳で死去。
 
※伊達の砦が置かれた檜原峠の自陣で刀を振り回し逸る政宗に対し、厳しい表情でこれを諌める叔父の留守政影(左)。家臣とは言え、家督を継いだばかりの経験の浅い甥を諌める態度はいささか立派である。

きょうはJR東北本線に乗り留守政影の居城があったとされる利府城を訪れた。
降りた駅は利府駅である。近くにはなんと東京五輪のサッカーが開催されるサッカー場がある。その経済効果は計り知れないところである。

実は1600年に仙台城(黄色)が築かれた時には利府城(赤)は既に廃城になっていたのだが二つの城の位置関係を確認して頂きたい。

JR利府駅を下りてからの私のルートを地図で確認して頂きたい。

利府城跡は標高約100メートルの小高い丘の頂上に築かれた典型的な山城である。これは腰曲輪と思われるが四百数十年前故に現在これを裏付けるものはなにもない。

桜の園とかいてあるところに政影の時代に本丸が築かれていたと思われる。

現在の城下にはこのように住宅地が広がっている。政影の時代はおそらく農家が点在する程度でなかったのではないだろうか。

ここが本丸跡である。多くの城跡を訪ねて共通するのは「兵どもが夢の跡」といった印象であるが、この城もこの例に漏れないものであった。

これは明治百年を記念して作られた石碑「利府城跡」である。

今度は坂を下って城の北側に下りてみた。国替えになるまではこに城は伊達の北方境界でもあった。従って北斜面は天然の急峻な崖である(右側)。この堀も戦略的に防御を固める意味で掘られた可能性がある。

帰ろうとすると、ふとこのような奇妙な二本の木が私の目に止まった。なんと松と杉が喧嘩するようにぶつかり合い、絡み合っていたのである。松の木は大木であったが杉の木はこれに負けることなく成長し、しかも二つの幹に分かれて天にそびえていた。
 
私はなにか因縁めいたものを感じ、瞑想してみた。一見伊達に吸収されたように見えた留守家はしたたかにその先祖の血を繋いでいるのではないか?私にはこの樹種の違った木がそれぞれ伊達家と留守家に思えてしようがなかった。


評定(会議)で意見を申し立てる政影(右)。彼は若手家臣の指南役でもあった。

留守政影は勇猛果敢な武将であったとも言われる。有能な将には有能な家臣がつくと言われるが、留守政影も伊達政宗の良き家臣であり、良き叔父でなかったのではないだろうか?私は在りし日の留守政影の人となりを思い、この城跡を後にした。
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