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     怨讐を恩讐に変えたい…、苦悩する私
 いつかはこれを書きたかった。否書かねばなるまい。躊躇を振り払うには勇気が要るが、あえて頃は熟したと心得、きょうは私の胸の内を皆さんに明かすつもりである。
 
 人は煩悩とともに生きている。喜怒哀楽、人間の様々な感情の中であまり抱いてはいけないと言われるのが怒であり、怨讐であるが煩悩にまみれた自我がある以上はなかなか難しい。今から話すことはここ数年私が心の片隅に置いて封印しようと試みながらいまだに成り行きが思うままに運ばず苦悩を感じているある事柄である。但し今の自分にはこの怨讐が具体的になんであるかは話すことはできないので読者の皆さんにやや抽象的な印象を与え得ることを最初にお詫びしたい。
 
 この事柄を説明するのに二つの比喩を用いよう。一つは戦国時代の伊達政宗の白装束事件である。伊達政宗は豊臣秀吉が懇意にしていた会津の蘆名氏という大名を滅ぼし、更に小田原城の北条氏攻めの参陣要請を再三に渡って無視し、城が陥落寸前になってようやく参じた。この時秀吉が政宗を殺そうとしているという噂さえ立ったという。その時に上洛した政宗の服装が白装束だったのである。むろんこれはすべての運命を秀吉に預けますという政宗の意思表示に他ならない。しかし秀吉は死を覚悟した政宗を許し命を奪うことはしなかった。

 もう一つは過去に掲載した自作小説「躁と鬱」の中に描かれている菊池寛の「恩讐の彼方に」という作品である。
 
 1919年菊池寛発表「恩讐のかなたに」粗筋 舞台は背景から江戸時代と思われる。ある侍に仕えていた家臣の男は主人の妾と通じたとことをとがめられ、逆に主人を殺してしまう。その後二人は各地を逃亡し追剥になって強盗殺人などの非道を働く。
 
 しかしその後、男は改心して仏門に入り、罪滅ぼしの意味で隧道を掘る。初めのうち、正体を知らない周囲の人間は男を狂人扱いしたが、しだいに何年もひたむきに隧道を掘る男に共感して隧道堀りを手伝い始める。そこに殺された主人の息子が敵討ちに現れる。
 
 ここで老いた男(老僧)は自ら敵討に対し、どうか切ってくれと自らの命を差しだすのであった。息子は男をいつ殺して敵討ちを遂げるかということを考えていたが、ついには男の経文を唱えるその姿を見て敵討を諦め自分も手伝う決心をする。

 この二つの話は前者は権力がテーマ、後者は善悪がテーマである部分が異なることを除いて似ている。共通するのは、例え怨讐は持てども、死を覚悟して自らの前に命を預けた人間にはこれを許し手をかけなかったということである。この根底にあるのは仁や義を尊ぶ儒教の精神ではないだろうか。
 
 これらの二つが私のケースが違うのは相手が非を認め、詫びてもらってない点である。但し敵と言ってもこれは比喩なので実際に命を奪うとか物騒な話ではない。あくまでも道義的な範囲での話である。一部の宗教家など悟りを開いた者以外の人間には死を覚悟して自分の前にひれ伏した人間は許せることはあっても、非を認めない人間を許すことはできないのではないだろうか…、実は煩悩に苛まれる私はずっとそのことで悩んできた。
 
 せめて罪を怨んで人を怨まずにとどめたいとも思う。しかし忘れようとしてもその忌々しいことは牛の反芻の如く或いは焚火の後の炭がいつまでもくすぶるが如く、何度も何度も私の脳裏に湧いてくるのだ。私はこのことを時計の振子のように使い、反骨の心を奮い立たせ、復讐を誓ってきた。
 
 しかしどう考えても前に挙げた二つのケースとは異なる。今後事態がどう変わるかはわからない。或いはこの二つの比喩のようなことになるのかも知れない。せめて仮にそうならなくても怨讐を恩讐と捉えラグビーでいうところのノーサイドを目指したい昨今の私である。
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