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支倉常長が持ち帰ったローマ公民権証書の和訳
 本ブログでは今年の6月20日に伊達政宗の遣欧使節である支倉常長がヨーロッパから持ち帰った品の世界記憶遺産(ユネスコ)登録をお伝えした。きょうはその内容を改めて紹介する。
 
 まず支倉常長の肖像画は往時のフランスの有名な画家に描かれたとのことである。キリストに敬虔な祈りを捧げる支倉だが、この絵に折目が入っているのは幕府のキリシタン禁止、迫害を逃れてこの絵をずっと折りたたんだままだったことを示している。

                   そして支倉が謁見したパウロ5世の肖像画である。

 そしてこれがローマ総政院及びその人民より伊達政宗の家臣支倉常長六右衛門に授与した公民権証書である。

 私の調べた限りではこの証書の主旨はわかるものの、インターネットでは日本語に訳されたものを探し出せなかった。そこで私は市民図書館から明治時代のある古書を借りた。明治24年9月出版の平井希昌編集「欧南遣使考」である。



以下1615年12月12日、訳:ダブリュー・イ・アストンを基にミックがアレンジ
              ローマ公民権証書
 ローマ市法王の顧問官三名はドン・フィリップ・フランシスコ・ハセクラ(支倉常長の洗礼名)にローマ市民としての権利を授けるため総政院に報告したので、総政院及びローマ人民は、この件を会議で次の通り決定した。
 
 ローマ総政院と人民は今更ローマ帝国時代のことを論じようとしているのではないが、受け継いで来た伝統、習慣を尊重し、今もなおこれを大事にしている。全世界からこのローマ市を訪れる人で有徳高貴の人であれば、例え経験の浅い人でも手厚くもてなし、その人が持っている本国での地位栄誉に加え、ローマの人民に列し市民としての権利を与えている。
 
 それは人徳高邁であれば、市民の一員に加えることによって共和国に栄光と利益をもたらすからである。そこで我々は古の伝統を尊び、先人が残した実績に従って日本の一王国奥州仙台出身のドン・フィリップ・フランシスコ・ハセクラをローマ市民に編入し貴族に列することは当然のことである。
 
 同氏は日本国奥州の領主伊達政宗殿下の命を受け、カトリック大教院の教皇であり神の子キリストに次ぐ聖人であるローマ法王に敬意を表するために遠路はるばるやって来た。これは併せて神の慈愛を君主伊達政宗と領国全体に垂れ賜わんことをパウロ5世陛下にお願いするためである。
 
 以上の理由によりローマ総政院及び人民は友愛の情更に親密なることを願いドン・フィリップ・フランシスコ・ハセクラにローマ市の公民権を付与し貴族に列することを議決した次第である。尚、この議決は多くの一般市民から喜びを持って受け入られたものである。これにて得られる利益と栄誉は互いに相等しいものと認識し、総政院の役人に命じ記録し後世に末永く語り継ぐものである。
 
           筆者コメント
 伊達藩の貿易交渉としてのこの遣欧事業は失敗に終わるが、国際的、かつ現代的な視野で捉えればこの事業は日本とスペインの国際親善に大きく寄与したのではないだろうか?それが今回のユネスコ登録に繋がったように思える。支倉常長は現代で言えば有能な外交官であったに違いない。メキシコやスペインに記した足跡でも明らかになることであるが彼は極めて思慮深く、かつ冷静沈着にして権威に満ちていと言われる。
 
 ここで、もし彼以外の人物が派遣されていたとしよう。果たして同じ結果が成り立ったであろうか?…そうとは限るまい、これは信念を貫く武士としての堂々たる立ち振る舞いが伝わり、このローマ市民権獲得並びに貴族処遇の決定に繋がったはずである。
 
 勝れた外交官は相手の言い分に耳を傾けるとともに、人間的な度量と勝れた采配を先方に感じさせる者でなければならない。これが相手に伝わってこそ自国の言い分を聞いてもらえるのである。支倉常長は一端の立派な侍であると同時に天性としてそんな資質も備わっていたのではないだろうか?また仙台藩では中堅家臣であった彼をこの大役に抜擢した主君伊達政宗公の采配の冴えを感ずる。
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