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 不平等を怨まず、逆に追い風とする処世術
 人は哲学などに接しなくても生きて行ける。生涯を通して順風満帆の人生なら問題ないだろう。しかし人生には往々にして山と谷が存在する。運勢が下降線を辿り、スランプに陥った時、趣味に興ずることで気分転換をしストレスを発散するのも手であるが、スランプの大小に関わらずものを言うのが自己の信念であり哲学である。
 
 人は哲学を身につけることによって人生を普遍的な視点で捉え、周囲を客観的に見渡すことが可能になる。私は昨今ニーチェの独創性に惹かれ、彼の哲学の吸収しようと試行してきた。宗教にも頼らず逆境を正面から受け止め、それを克服しようとする彼のスタンスに大いに共鳴したのである
 
 揺るがない自己を確立したいという意識の一方で、人間として未完成な私は時折煩悩に苛まれることがある。そしてそれが尾を引いた時に自分を主観視して物事の本筋が見えなくなってくることがある。なにかもやもやした霧のようなものが心の中に立ち込め、先行きや周囲が見えなくなってくるのである。こうなると危険である。そんな折に私は昨日久しぶりに彼の哲学を説いた「ニーチェ運命を味方にする力」(宮原浩二郎著)の本を開いた。

     ニーチェ、「毒グモタランテア」より 
人間は百千の大きな橋小さな橋を渡って未来へ押し寄せて行くべきなのだ。
こうしてますます多くの戦いと不平等が彼らの間に起らなければならない。
善悪、貧富、貴賤、その他諸々の価値の名称、それらはすべて武器であるべきなのだ。
生が絶えず自己自身を克服して高まらねばならないことを示す。
戦場の標識であるべきなのだ。

 世界の文明は川とともに育まれてきた。貴重な食料である魚介類、穀物の栽培に必要な肥沃な土、このように川はその流れによって我々に様々な恩恵をもたらし人類の繁栄を支えてきた。ではその文明の母なる川はなぜ流れるのだろうか?これはもちろん「土地の高低差」が存在するからである。
 
 人は川に於ける高低差は認めても、不平等に置かれた場合、その高低差を認めようとしない。不平等の先にある相手を非難することにのみ着目しがちである。不平を言う人は自分より高い位置にある人に追き追いこそうという努力(川で言えば流れへの逆行)を怠っているのではないだろうか?ここでニーチェの言葉を借りよう。人間は元々不平等という旗の下に生まれているのだ。
 
 これを普遍的な目で見るならば、不平等を感じ、その高低差を克服しようとする向上心、負けん気こそが人類の進歩、繁栄の糧となってきたものではないだろうか?
 
 何を隠そう、私自身もこの不平等を大いに感じる身であるが、このニーチェの思想を聞いて少し考えが変わった。今はこのハングリー精神こそが自分の武器だと思っている。私は自分の不平等を否定せず、しっかりと受け止めて今後の自己啓発の糧として行きたい
 
本ブログ「ニーチェの哲学」シリーズ
※「ニーチェが我々にもたらしたもの」http://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/31059393.html
※「あなたはなぜ注目されないか」http://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/31090631.html
※「人生の通過点に過ぎない現在を重視する」http://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/31096723.html
※「あなたは喜び方がまだ足りない」http://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/31115923.html
※「黙っているのは難しい」http://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/31155643.html
※「互いに同情しない友達関係」http://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/31241731.html
※「苦境にあっても仮面舞踏者のように舞う」http://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/31331856.html
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