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本日は江戸時代~大正期にかけて描かれた自分の生家位置が特定できたので発表したい。石巻の鋳銭場(硬貨を造った場所)は1728年(享保13年)に造られている。この鳥瞰図には鋳銭場の表示があるので、少なくとも江戸時代中期以降に描かれたものと見られる。各町の名称を落としてみた。私の生家を赤い点で示してみた。「横町」と書かれた文字の左傍にあるところである。生家の近くを流れていた堀(水色で表示)は今ではなくなってしまったが、この鳥瞰図を見るとはっきりとわかる。

※今回は写真の解像度を約4倍の500MBに上げ、相当の拡大にも対応できるものとした。

これは公図と見られる。新田町の公図には、自分の生家が描かれていなかったので、正確な位置を他の地図で調べた上で、自分で落としてみた。鋳銭場の大きさに着目。今の鋳銭場(史跡として保存)は猫の額ほどの広さで、たった数十平方メートルしかないが、藩政時代は大変広い敷地があてがわれていたようだ。ここからの地図は全て、北を上として私が見やすいように加工した。

下に掲げる横町の公図は昨年二月にルーツ調べをした際のものだったと記憶している。堀と生家の位置(黄色)を落としてみた。現在道路となっている部分を遡ると、誰かの住居だったりして、大変興味深いものがある。

下の図には「住吉尋常小学校」の名称が出てくるが、藩政時代には米蔵のあった場所である。建物の様子から言って大正時代~昭和初期にかけての地図と思われる。興味深いのは堀が途中から埋められている点(暗渠になったと思われる)である。

これは番外編である。郷土史家の紫桃正隆氏(1921~2008)が描いた蛇田町(現:旭町で横町の隣町)の地図である。紫桃氏の描いた地図と今回の公図を組み合わせることで新たな地図が描けるものと察している。ソフトは縮尺を自由に変えられるものがベストゆえ、近いうちにCADを使って描いてみたい。

横町挨拶
古地図における自分の生家位置が特定できたことで、数年前までベールに包まれていた我がルーツの暮らしぶりが、よりリアルに見えて参りました。また明治期~昭和初期頃に近くに酒造所があったことも解明しました。それと隣町の住吉町には相馬藩邸や志賀直哉生家などもあり、興味は尽きません。私はこれを新たなステップとして次の創作に繋げて行きたい所存です。当初は地道な調査から始まったルーツ調べですが、ここまで来ると面白さが一気に広がり、すっかり佳境に入ってきた気が致します。本日も最後までご覧頂きありがとうございました。

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