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   マグネシウムの如き燃え尽きた炎の人
 現在、仙台市青葉区の宮城県美術館でゴッホ展が開かれている。この特別展開催は明日の15日までである。ゴッホは自作小説「躁と鬱」でも取り上げている通り、私が最も注目している画家である。ゴッホ展を今回見逃したら二度と見れない可能性が高い…きょうはそんな焦りさえ感じ、私は美術館への道を急いだ。それでは会場となった宮城県美術館の鳥瞰写真をご覧頂きたい。住所は杜の都仙台の文教地区とも言える青葉区川内である。

私が到着したのは11時半、ここが美術館の入口だが、普段とは異なり並々ならぬ混みようを感じた。

ごった返す人、これだけで天才ゴッホへの人々の関心の度合いのバロメーターがわかるというものである。

会場は2階、もちろんここからは撮影禁止である。

入口でこのようなオーディオガイドがオプション(¥500)で貸し出されるがちろん私も借りた。左は今回展示している作品のリストである。
 ここからは今回展示しているいないに関わらず私が印象に残った作品を掲載する。「夜のカフェテラス」、彼の作品を見て気づくのは黄色の使い方が巧妙であることである。夜空の星を見てお気づきと思うが彼はけして写実主義者ではない。
 
 解説によるとゴッホは「形式」にこだわった画家とのことであったが、ここで言う形式とはやや抽象的な表現である。この「形式」という意味をどう捉えたらいいのか?私はいろいろ考えてみた。その結果、この言葉の意味を私は広義に解釈し、自己主張、否もっと大きく捉えれば彼の哲学とも受け取った。
 
 私にとっては120~130年前のアムステルダムやパリ、モンマルトル、アルルでの風景画は極めて魅力的なものに写った。これはもちろん彼の稀に見る優れた技法によるものである。

これは明るい絵であるが雲や木の葉、草の描き方が独特である。この絵を見ると形式という言葉の意味が少しわかるような気がする。
 「星月夜」この辺になると彼は写実画と抽象画の中間をいった画家とも捉えられる。それとこの絵を深く考察すると正常な神経の人間の理解できる範囲を越えているような気さえする。事実この絵を描いたころの彼は精神を病んでいた。彼は躁鬱病だった。
 
 同じ病を患った私には彼の気持ちが理解できるが、この頃の彼は恐らく相当の強迫観念を受けていたとも受け取れる。強迫観念とは自己の造り上げた虚像がもたらすものである。この病はこの虚像の幻影が常につきまとい、延いては脅しをかけてくる特性を有するのである。

 彼は金銭的な問題でモデルがあまり雇えなかったようで多くの自画像を遺している。この絵をよく見て欲しい。特に目を。これは躁特有の攻撃的な目である。躁になると人のいいなりになるのを極端に嫌い、自我が大幅に増す。彼はそんな性格が災いし学校を追われ、父と同じ牧師になるのを諦めている。ここにいつの世にも繰り返される悲劇の天才のあり方を見出すことができる。
 
 また背景の青、灰、黒の入り混じった描写は彼自信を中心に弧を描くように取り囲んでいるが。心理学的には強烈な自己主張の現れ(自己中心主義)とも受け取れるのではないだろうか。

 「糸杉と星の見える道」、死の二カ月前に描いた絵である。この絵を見るともはや彼の死期が間近に迫っているのを感ずる。そして彼は1890年7月、自分の胸に向けて銃を発射した。献身的な弟の介護も虚しく彼は二日後に37歳の短い生涯を閉じた。これは奇しくも芥川龍之介の享年と全く同じである。
 
 太宰治もそうだが我が国の芸術、文学において秀出た天才の多くは30台後半でその生涯を閉じている。私は今でも高校の化学の時間の実験で行ったにマグネシウムの鮮烈な燃焼が印象に残っているが、彼らの燃焼はまさにマグネシウムの燃焼のように際立って明るく感じる。しかしながら大変残念なことだがこの燃焼は長くは続かないとも感じている私は改めて「炎の人」と言われた彼の生涯に畏敬の念を表したい。

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