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  解明が待たれる仙台市東部の複合遺跡
夏至を過ぎたばかりのきょう、私は久しぶりに遺跡探訪でもしたくなり仙台市東部の小高い丘にある燕沢遺跡を訪ねることにした。仙台バイパスの西側に鶴谷(つるがや)団地という古い団地があるが、私はバイクでこの団地からアクセスを試みることにした。これは鶴谷団地東部にある小さな公園であるが岩切、多賀城方面といった仙台平野でも歴史ある地域を望むことができる。

さきほどの公園からやや目的地に近寄ってみた。黄色で囲んだ辺りが燕沢遺跡である。

航空写真できょうの主な立ち寄り箇所を確認して頂きたい。赤:燕沢遺跡、黄色:大拙庵、オレンジ線:松尾芭蕉が歩いたと見られる旧道。
※芭蕉のルートについてはきょうの近隣住民からの聞き込み調査を根拠とする。

現地に着いたが、史跡らしいもの(立て札、基礎の跡…)はなにもない。
おそらくあの右側の高圧鉄塔の手前らしいのだがはっきりしない。

 これは仙台市HPから引用した写真で以前のものである。掘立柱建物跡は僧坊とのことである。どうやら寺があったらしい。以下、仙台市HPより引用。
 
       燕沢遺跡(集落跡,生産遺跡,城館)
 七北田川の右岸、標高20~30mの河岸段丘上に立地、遺跡の広がりは東西430m、南北300m程の8.7haである。古瓦が出土することから、古代の官衙または寺院跡と考えられていたが、数次にわたる発掘調査の結果、縄文時代から平安時代までの各時代にわたる複合遺跡であることがわかった。
 
 発掘調査は、仙台市教育委員会により昭和56年(1981)から平成6年(1994)までの間に8回にわたって実施された。古墳時代の集落は、丘陵頂部から古墳時代前期塩竃式期の竪穴住居跡が4軒発見されている他、方形周溝墓とも見られる遺構も見つかっている。丘陵地における古墳時代集落の希少な例として重要である
 
 奈良・平安時代の遺構は掘立柱建物跡、竪穴住居跡、土坑、溝跡等が多数発見されているが、特に平安時代のものと考えられている掘立柱建物跡は東西7間以上、南北4間の東西に長い建物跡で、南と北の二面に庇をもち、身舎の内部には3間おきに柱穴があり、建物内部を区切っていたとみられる。この建物は寺院の僧房と考えられ、出土遺物から10世紀前半に取り壊されている。出土遺物も一般集落から出土するものとは明らかにことなり、寺院の存在を想定させる瓦類のほか、土師器、須恵器等の土器類も多い
 
 土器類の中には「宗」・「山部」・「讀院□」等の墨書のあるものや平安時代の土師器とともに「右 人□」と判読される漆紙文書も出土している。瓦の中には桶巻き作りの平瓦があり、飛鳥時代から奈良時代初期の瓦葺き建物の存在も想定されるうえ、平安時代には僧房をもつ寺院があったものと考えられ、全容は明らかではないものの古代の重要施設があった貴重な遺跡である。

3D立体航空写真(鳥瞰写真)で位置を確認して頂きたい。赤:平安時代に僧坊があったと思われる場所、オレンジ線:松尾芭蕉が歩いたと見られる道。ただし現在は国道4号線の所は切り土でえぐられており、芭蕉が歩いた時代は丘が続いていたと思われる。

説明書きなど、裏付けするものがなにもないため、不安になった私は左端の農作業をしているかたに聞き取り調査を試みた。
 
ミック
「お忙しいところ、失礼します。この辺に遺跡があったと聞いたのですが…」
 
付近の住民らしきかた
「ああ、その遺跡ならだいぶ前に発掘調査されて今は何の跡かたもなくなっているよ。」
 
ミック
「…、その遺跡の範囲はかなり広かったのでしょうか?」
 
付近の住民らしきかた
「昭和から平成にかけて十数年かかっらかなり長い調査だった。それによるとこの辺一帯が大規模な史跡ということがわかったらしいね。」

仙台市HPの写真から判断すると、このネギ畑の辺りにちょうど僧坊があったらしい。

ナビで見るとこの黄色で囲まれた辺りになる。

高圧鉄塔の位置から僧坊の位置を推定してみた。ほぼこの辺りではないだろうか?

別なかたからの聞き取りにより、芭蕉が置くの細道で歩いたとされる旧道に行ってみた。これは東側のビューである。正面から橋を渡った車が来ているが仙台バイパスが開通する以前はここはえぐられてなく、なだらかな下り坂だったのではないだろうか?

今度は西側見てみた。残念ながら往時を偲ぶもの(石碑、説明書き)はなにもなかった。教育委員会としてははっきりとした根拠のないものは出せないといった感じなのかも知れない。

今度はルートを変え僧坊をかすめて南側に出てみた。付近住民のかたへの聞き取り調査によるとこの辺りが平安時代の寺の参道入口ではなかったのか?とのことだった。

      住民からの情報を基に、この後西に1キロほど離れた尼坂に行ってみた。

平将門の妹がこの地に逃げのび、仏門に入ったとされる。歴史の事象を偲ぶ時、多くはロマンを伴うものだが、この丘(坂道)も例外ではなかった。彼女がここで道行く人に甘酒を売って後にこの地の名物となったというのは非常に興味深いことである。

 この後、西に数百メートル離れた大拙庵に行ってみた。私は住宅地に囲まれながら外界とはまったく異なる異次元の雰囲気を醸しだす空間に引き込まれた。当初茶室?と思われたこの建物は実は後で調べたら如来教の寺院とのことだった。大拙庵ではインターネットではほとんどヒットしないため如来教について調べてみた。
 
 如来教:尾張国熱田(現名古屋市)の農民出身の教祖一尊如来きの(1756-1826)が、1802年開教した民間宗教の一派。原罪意識、来世主義を中心とする。修行として座禅を重視することから明治以降曹洞宗に属したが、1946年(昭和21)独立。教祖の説教を集めた「お経様」を根本教典とする。

                  まとめ
私は燕沢遺跡に思いを馳せた。縄文から平安…、これは数千年という膨大な年月になる。
私はこの壮大な時の流れに度肝を抜かれるとともに、時を隔てた古代人の大いなるロマンを感じた。昨今思うのだが、郷土史探訪は単発から複合になると様々な結びつきが生まれて興味が相乗的に増していく。これを改めて再認識したきょうの史跡探索であった。
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