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 国際的にも認められた伊達政宗の欧州派遣事業
昨日のニュースで藤原道長の自筆日記とともに支倉常長がヨーロッパから持ち帰った品が世界記憶遺産(ユネスコ)に登録されたことが報じられた。

 仙台市博物館HPによると、具体的には国宝「慶長遣欧使節関係資料」のうちの「ローマ市公民権証書」、「支倉常長像」、「ローマ教皇パウロ五世像」の三点である。
 
 伊達政宗が派遣し、今年で四百周年を迎える慶長遣欧使節団派遣とそれを率いる支倉常長は当ブログで過去に何度も紹介しており、今春からは専用の書庫「慶長遣欧使節団の研究」を設置した。
 
 昨晩の仙台放送のニュースでは往時渡った日本人の子孫と見られるハポン姓のかたと支倉常長の子孫のかたの交流が放映されており、この使節団派遣が単なる貿易を目的とした日本の一特使としての存在のみでなく国際親善にも役立ったことを物語っている。きょうはおさらいの意味でもう一度使節団の足取りをたどることにする。
 
 この写真は先日訪れた松島の伊達政宗歴史館の蝋人形を撮影したものである。左から宣教師ルイス・ソテロ、支倉常長、一人置いてスペイン航海士(貴族)ビスカイノ、伊達政宗。全長55メートル、重さ500トンの船(サンファンバウティスタ号)をなんと3ヶ月という驚異的な速さで建造している。延べ人数で4500人を要しているので一日平均50人の職方が働いた計算になる。これを見ただけで当時の伊達政宗の力量、権力のほどが推し量れるのではないだろうか。
 
 またビスカイノからは多くの造船技術を学んだとされるが、これは彼の母国スペインにとっての最高機密とされており、マストの数を意図的に減らしたり、船の断面を丸みを帯びさせ、速度が出にくいようにしたりと多くの技術の出し惜しみも見られる。これはビスカイノが本国からの追及を恐れたために仕組んだとも言われている。

諸説が存在するこの使節団派遣の動機だが、私は東北の司教になりたいソテロの出世欲と天下を狙う伊達政宗の野心が一致したと考える。一方ビスカイノは無事に本国に戻りたい一心だったのではないだろうか?造船場所も実は二つの説がある。雄勝の呉壺と出港地の月ノ浦である。いろいろな文献を見るとやや呉壺のほうに分があるようである。

行きと帰りのルートである。船便待ちも含め、全行程には7年間もの月日を要している。

往路のメキシコのアカプルコまでは約3ヶ月かかった。この間数度の嵐に遭遇したと推測されるが航海日誌が残っておらず推論の域を出ない。

スペインに上陸後は陸路を経て地中海へ。ローマに向かう途中はあちこちの港にも寄っているようである。

ローマ法王、パウロ5世と謁見する支倉常長(みちのく伊達政宗歴史館蝋人形)、ここでも伊達政宗の書状を渡している。
常長にとってはここが最期の砦だったのだろう。法王からは宣教師派遣の意志は取りつけたものの、貿易実現への追い風は得られなかった。

私は今回、この品がユネスコに登録されたことを嬉しく思うとともに、メキシコ、スペイン、イタリア側からの理解と友好が得られた実績を重く受け止め、伊達政宗公の国際的視野に立った先見性に改めて敬服する次第である。
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