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彼が貫いたのは主君への忠誠だけではなかった
きょうは有給をとってある歴史フォーラムに参加した。開場は仙台市の中心部にある電力ビル7階の電力ホールである。

ここが電力ビルの入口である。

 このフォーラムは第1部と第2部に分かれている。私は故あって第1部のみ参加することにした。なぜなら、少なくても震災以前にこういう説(伊達政宗は慶長16年(1611年)の津波で受けたダメージを回復するために使節を派遣したとする説)は震災以前はまったく存在しなかったし、あくまで使節の目的は政宗の野望(天下狙い)であったと思うからである。はっきり言えば震災復興という結果ありきでこの使節団と復興を無理やり結びつけるのはやめてもらいたいのである。
 
 尚、この番組は仙台放送が1992年にTVで放映した日伊合作ドキュメント「サムライ・ドンフィリッポ・ハセクラ」である。

ご覧の通り、会場の電力ホールはほぼ満員の状態であった。

この時の仲代達矢は59歳、映画を見て私は彼がこの役にピッタリの役柄であることを強く感じた。それでは彼が演じた支倉常長とはどんな人物だったのか?
 
               支倉六衛門常長(1571―1622)

 往時の名は支倉六右衛門長経。 伊達政宗の家臣。1613年10月(慶長18年9月)にメキシコ、スペインとの直接貿易を望む伊達政宗の書状を携え、スペイン人宣教師ルイス・ソテロとともに、180名を率い仙台藩で建造された500トンの巨大木造船(サンファンバウティスタ号)でスペイン国王、ローマ法王に使節として派遣される。
 
 往路は太平洋を横断しメキシコ、アカプルコに入港後、陸路を経て大西洋を横断しスペインに至った。スペインでは当時の国王、フェリペⅢ世立ち会いのもとキリシタンの洗礼を受けるが、貿易実現の目的を果たせず、ソテロの力添えでローマに向かう。(スペインに残された文書よると彼は威厳あり、容姿整い、沈着、賢明、謙譲と記録されている。)
 
 ローマ到着後の1615年11月、法王パウロ5世に謁見がかうものの宣教師派遣の同意を得たのみで、当初の目的は果たせずに帰国の途に着く。帰路はフィリピン経由で1620年に仙台に戻る。彼の帰国とほぼ同時に伊達政宗はキリシタン禁止に踏み切る。支倉は数々の献上品を政宗に渡した後、1622年7月、失意のうちに52歳の生涯を終えたとされる。
 
              感想
 
 今までに支倉常長に関する動画を3作見てきた(①石巻市のサンファン館で上映されたシュミレーター、②仙台市博物館での「数奇な運命をたどった一人の侍、③2007年12月NHK総合TVで放映された「伊達政宗ヨーロッパにかけた夢」)ので今回が4作目である。
 
 また私はここ4年ほどの間に5箇所あるとされる彼の墓のうち、主たる3箇所を廻っている。それほど彼に傾倒し尊敬している。なぜ彼に惹かれるのか?それは彼が侍の生き方を全うした男の中の男であるからである。
 
 侍にとって選択の余地はない。なぜなら侍は武術に励み儒学を修め、その一生を主君に捧げなければならないからである。しかし裁量という範囲においては別である。この裁量一つで名を挙げるか否かが決まるのだ。
 
 支倉は主君政宗から欧州使節団という大役を遣わされたが奥州伊達藩の中ではそれほど名だたる家臣ではなかった。彼は600石取りの一家臣に過ぎず、約3000名の仙台藩士の中では170番目くらいの位置に過ぎなかったのである。
 
 ではなぜ彼がこの大役を任されたのか?その理由の一つは彼の実父の犯した罪にあった。彼の実父は素行が悪く切腹を言い渡された身であったのだ。しかしそれは理由の一つに過ぎない。常長は若かりしころ、政宗の朝鮮攻めに同行したり、大崎一揆制圧などの功があったのだ。従って政宗は、彼に汚名挽回のチャンスを与えるとともに、この男ならときっとやってくれると見込んで常長をこの大役に抜擢したのではないだろうか?
 
 そんな常長を演じるのが仲代達也(作品中ではレポーター兼主役)である。侍たるもの寡黙でなければならない。動揺し頻繁に表情を変えることも許されない。そんなキャラクターが彼にはピッタリと言っていいほどハマっているのだ。

※スペインで国王立会いのもとで洗礼を受けた後、ローマで堂々と入市式に臨むドン・フィリッポ・フランシスコ・ハセクラ。

 そんな彼も帰路のフィリピンでは長男に手紙をしたためている。彼も子を思う一人の親であったのだ。しかしこの大任に関する愚痴は一言も書いていない。手紙は家族を気遣い、祖母に孝行するようにとの内容で綴られていた。やがて幕府のキリシタン弾圧の逆風によって、この前代未聞の交渉は失敗に終わるが彼にまったく落ち度はなかった。主君の命を遂行したのである。彼こそは侍の中の侍である。
 
 但し彼は主君政宗に対して忠実であっただけではない。同行したルイス・ソテロの手記によると帰国してから彼の妻や子供もキリシタンになったというのだ。(後に支倉家は一時家系断絶の処分を受ける)主君もイエスキリストも裏切らない生き方。彼こそは真実に生き、信念を貫いた男だったのではないだろうか?
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