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   鶴が舞うが如く優雅に、そして清らかに
 酒田駅北西部の庄内交通バスターミナルでSSライナーを下りた私がまず向ったのはターミナルから目と鼻の先にある本間美術館である。赤線で囲んだ部分が本間美術館である。

本間美術館(本館、新館)はご覧の林の中にある。
酒田には何度か来たことがあるがここは初めての訪問である。

表通りには取りたてて大きな看板がない。私も含めて初めて来た人にはわかりずらいのかも知れない。敷地に入ってから初めてここだとわかるのだが、これも景観に配慮してのことだろう。

航空写真で本間美術館の新館と本館の位置を確認して頂きたい。新館は薄茶色の建物、本館は新館の斜め左上にあるのだが、林に囲まれているためにややわかりずらいかも知れない。

この建物が昭和43年に建てられた新館である。

新館の中は撮影禁止、展示品は中世の古美術から現代美術で本間家のコレクションのようである。
本間美術館新館:昭和43年建築、所蔵品には、本間家が大名から拝領した品、歴史資料として価値の高い文書、当主が好んだ茶道の器物など、重要文化財や重要美術品が多数。

ここで本間家について説明しておきたい。日本全国には必ずといっていいほどその土地の名士が存在するものであるが、この本間家は酒田では知らない人がいないほど有名である。この本間光丘氏の人物像を見るにつけ、その理由がよく理解できる。

新館の美術館を見学した私は本館に向った。鶴舞園が見えてきた。
 
鶴舞園:本間美術館内にある庭園で、文化10年(1813)建設。築山や樹木、石、池の配置にすぐれ竹林や梅、ツツジなど風情豊かな純日本風庭園。鳥海山を借景に林泉の風致をそえた池を中心とした廻遊式の庭を呈する。
 
 なんと優雅な名前なのだろう。貫録といい、存在感といいこの日本庭園はダントツに素晴らしい。さすがに国指定名勝になっているだけのことはある。ここには本物中の本物だけが持つ歴史的な重みがあるのだ。

少し進むと古い建物が見えてきた清遠閣である。
 
清遠閣(本間美術館本館):本間家4代当主光道が、本間家別荘として文化10年(1813)建築。
6千坪の敷地内に建つ二階建ての銅板と瓦ぶきの建物。
藩政時代は庄内藩主(酒井候)や幕府要人を接待、明治以後は皇族や政府高官、文人墨客を接待する酒田の迎賓館の役割を果たした。
大正14年には昭和天皇のお宿となる。昭和22年、市民に開放され、全国に先がけて地方都市の私立美術館として開館。

池では錦鯉が元気に泳いでいた。

道に整然と敷き詰められた小石、そして苔は庭師の労によって維持されているものである。

清遠閣に至るには二つの門をくぐらなければならない。

要人を迎い入れる配慮、高級料亭もそうだがこの手の建物には車寄せがつきものである。

玄関に回るとここはもう純日本建物という意匠である。

この建物は平面的にはL型になっている。ここは平屋部分の一階である。
その広さたるや、趣たるやため息がでるばかり、私は興奮を感じずにはいられなかった。

こちらは二階部分の一階にあたる部屋である。今は洋風の机が置いてあり、飲み物と軽食を出しているようであった。

ここは二階部分の二階の部屋である。視界の角度が増し庭への眺望が一層利く。建物と庭園との調和、こうして見ると建築デザイナー、造園デザイナーの意図したテーマがよくわかる。単に外から眺めるのでなくこうして建物の内部から庭を見ると改めてその日本庭園としての秀逸性が改めて浮き彫りになる。

ここの間取りの名は謁見の間である。皇室や藩主が謁見に使用したためなのだろう。

内部を見学し終わった後、もう一度外から清遠閣を見てみた。まさに本物だけが放つオーラを感じた。

これがL型の突起の平屋にあたる部分の外観である。

こちらが二階部分で母屋の部分である。庭木と石燈籠のバランスも文句なし、一部も隙がないというのはきっとこんなことを言うのだろう。
今まで青森県の弘前市を始め、いろいろな日本家屋、庭園を見てきたがここは東北ではナンバーワンと言ってもいいのではないだろうか。感動と興奮を押さえきれない今回の見学であった。

「初夏の庄内酒田の旅」シリーズ、次回は土門拳記念館について紹介します。
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