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    妄想とは思えなかったこの時の成り切り 
 これから話すことは私が或る年の冬に経験した不思議な出来事である。この稀有なる体験は自分にとってもう二度とないことだと思うが、私自身がけして忘れないために、またこの病気に悩む人のために、そして多くの人にこの事実を知ってもらうためにペンを執った次第である。
 
 世の中には妄想、成り切りという言葉がある。もしここに別人に成りきった人物が存在するならば多くの方が好奇の目でこれを見るだろう。しかしこの時点においてそんな事態が自分の身に起こるとは夢にも思わなかったのである。
 
 この私の成り切りが誰で一体どんなものだったのかをお話する前にこの時に置かれていた私の境遇を話す必要がある。或る年の暮れ、私は不本意ながら予期せぬうつに見舞われ、周囲からの信用を大きく落とすとともに、病魔によって仕事のパフォーマンスを奪われ、更に周囲からいろいろな誤解(任務の遂行能力、ファイティングスピリットに欠ける…)を受けることになった。
 
 この時、もがけばもがくほど焦り、悪循環に陥る様はまるでアリ地獄の巣に落ちたアリそのものであった。その後のうつの期間は丸二年にも渡った。この時の私は生けるしかばの如く生気を失い過ぎゆく時の流れにただただ従順に身を委ねるばかりであった。このままでは、会社を辞めるしかない…
 
 この時、社会の藻屑(もくず)となって消えようとしていた私に奇跡的に一筋の光が差した。それはこの年の暮れにNHK総合TVで放映された「天下に旗を上げよ、伊達政宗、ヨーロッパにかけた夢」を見た時のことだった。

         「伊達政宗、ヨーロッパにかけた夢」粗筋
 最後の戦国武将とも言われる伊達政宗は18歳にして家督を相続すると数々の合戦を勝ち抜き、奥州南部の領地を獲得してゆく。この時獲得した領土は114万石、破竹の勢いで駆けあがった若武者、政宗は天下を視野に入れるまでになる。

 その時天下統一をしようとしていた豊臣秀吉は小田原の北条攻めに参陣するよう政宗に求める。しばらくはこれを無視して逆に北条氏と同盟を組もうとしていた政宗だが、やがてその圧力に屈し小田原落城寸前に参陣する。この時政宗は死を覚悟の上で白装束を着て太閤秀吉の前に伏し、命だけは許される。
 
             ※死に装束を着て秀吉の前に伏す伊達政宗

 この時の秀吉の仕打ちは苛烈を極めた。政宗は国替えによって現福島県の多くの領土を失い、代りに現宮城県北部と現岩手県北部の荒れ果てた土地をあてがわれる。しかしこの時天下を閉ざされたと思った稀代の風雲児に再びチャンスが訪れる。なんと荒れ果てた地と思われたこの場所には実は多くの金や鉄の豊富な資源が眠っていのだ。金はご覧の通り全国三位の産出量を誇り、疲弊した藩の経済を立て直す大きな原動力となった。

 また鉄山では南蛮から取り入れた新たな製鉄技術を導入し、この藤沢地区においては年に180トンもの鉄を産出するに至った。政宗は南蛮から新技術を得る代償として藩内でのキリスト教布教を認めていたのである。

 こうした資源や新技術の導入は伊達藩の経済力、軍事力を大幅にアップさせるものとなり政宗は再び天下取りの野心を抱くようになる。しかし秀吉が死に、天下はやがて関ヶ原の戦いを経て時代は徳川の時代へと推移してゆく。
 
 政宗はそんな中にあっても仙台城を築城したり、藩の南部に強大な家臣を集めるなど、やがて来るかもしれない幕府との戦の準備に着々と備えていた。しかし家康はそんな政宗に江戸城普請などを言いつけ経済力を奪おうとしていた。
 
 この時、政宗は家康に表面上の服従を見せながらも実は諦めていなかった彼はヨーロッパとの直接貿易から得られる利益をを独占しようと考えたのだ。彼はこれを実現するために500トンもの巨大木造船を建造し、使節団を派遣することになる。
 
        ※仙台領月ノ浦を出帆するサンファンバウティスタ号

 
 実はこの時、私はこのVTRを繰り返し200回以上見て一字一句違わないほど内容を把握できるまでになった。そしてこの時非常に不思議な現象が起った。
 
※使節団の正使、ルイス・ソテロがスペインの宰相にあてた手紙「政宗は迫害を受けている日本のキリシタン30万人の力を得て幕府を倒し、自ら皇帝となろうとしている


 信じられないことかも知れないがこの時、自分が政宗の生まれ変わりであると本気で信ずるようになったのだ。これは彼の不屈の精神と私の負けん気が同調した瞬間でもあった。特に秀吉から国替えで領土を召し上げられたあとで、新たな領地で幸運にも金や鉄を大量に手に入れて軍事力を増強し復活した政宗が、カメラに向かって銃口を向けるシーンは私を勇気付け、眠っていた闘争心を大いに奮い立たせるものとなった。
 
 ※カメラに向かって銃口を向ける伊達政宗(この時、彼にとっての銃口の矛先はむろん秀吉であるが、彼に成り切った私の銃口の矛先がなにであるかは読者の想像に委ねる)

 結論から言おう。実はこの時、私は躁鬱病の強い躁状態に陥ったのである。そしてこの躁は過剰なるエネルギーを私にもたらし周囲の人との摩擦を引き起こす原因となった。この経過は自作小説「躁と鬱」に詳しく綴っている。
 
 落ち着いた今改めて思うのは「この躁鬱病特有の成り切りがなければ今の自分はなかった。ルサンチマン(拘り、恨み、辛み)は大きな自己改革に至る一過程に過ぎない。」ということである。これは専門医などから見ても異論があることだろう。だが私はそれを百も承知のうえでこう言いたい。
 
 「その凶悪な渦に飲み込まれるか否かは第三者からはけしてわからない。この時の私はやがて自分を飲み込もうとしていた黒いトグロを巻いた渦の正体がはっきりと見えていた。こうした気持ちが私に宿る限り、心の病は再発しない」と。
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