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 海を埋め立てて作られた人工の都市、塩竈
 今日は塩竃(塩釜)シリーズ最終回として昨今の塩竃の変遷ぶりについてお伝えする。先ずはヤフー航空写真直貼り画面で現在の塩釜市をご覧頂きたい。神社マーク:塩竃神社、赤●:旧亀井邸、■:塩竈市公民館本町分室、黄色□:JR仙石線本塩釜駅
これは古来の塩竃と現在の塩竃の海岸線の比較である。
黒線:昔の海岸線、赤線:現在の海岸線、神社マーク:塩竃神社、赤●:旧亀井邸、■:塩竃第一小学校(藩政時代は代官所官舎)、黄色■:JR仙石線本塩釜駅。
なんと塩竃の市街地の多くは埋め立てて作られていることがわかる。

 さて、ここからは前回お約束した亀井邸に展示されていた昭和初期の塩竃市街地の模型を掲載して説明する。上の海岸線と比較してだいぶ埋め立てられているようだが、よく見るとまだ現在とは違うようだ。赤斜線部分がその後埋め立てられて、その後に本塩釜駅(黄色□)が出来たようである。従ってこの埋め立て作業は主に明治時代初期から昭和時代半ばに至るまで百年近くに渡って進められてきたことがわかる。

昭和初期の仙石線(旧宮城電鉄運営)、車両はチョコレート色で私が見た昭和三十年代のころと同色である。駅は現在のJR本塩釜駅よりもずっと東寄りにあったことがわかる。また駅の作りは随分と簡易な様子である。

 NPO法人みなとしほがまが所有のこの模型は実物に限りなく近いはずである。瓦の細かい模様、外壁の板張りの具合、煙突に描かれた文字…建物の配置だけでなく、一戸一戸の建物が建築模型として高い存在価値を持つ。この模型はそれだけハイレベルなのだ。
 
 尚、この黙契の製作にあたっては東北学院大学の教授の指導があったとのことである。コスト的にはおそらく数百万円は楽にかかったのではないだろうか?

この屋根のかかった建物は市場だろうか?小舟一艘、一艘の作りも極めて精密である。

仙石線の松島方面はこのトンネルで終わっていた。今の仙石線は立体交差となって別のところを通っているのでこのトンネルの存在は極めて興味深い。

旧亀井邸を出て、知人と昼食を食べた後に、裏参道を通って塩竃神社に行った。この通りを突っ切ると塩竃神社である。毎年初詣には大勢の人が訪れる場所である。

塩竃神社のこの日の桜はまだ三分咲きとあって花見客もまばらである。今週末こそはきっと見ごろとなるだろう。

桜の咲き加減が今一つということもあって塩竃神社博物館に寄ってみた。これは同館屋上から見下ろした紫波彦神社(左)と塩竃神社(右)である。

 現在の塩釜湾と市街地。市街地には大きなビルも建っているがそのほとんどは埋め立て地である。塩竃の歴史を語る時、湾の埋め立ては避けて通れないほど重要なことと言える。今日(こんにち)の塩竃の繁栄はこの埋め立てによる陸地の拡幅に源を発していたのである。
ここは前々回の記事で紹介した塩竈市公民館本町分室である。こうして見ると建物の配置がよくわかる。ちなみにこの辺の場所は高台なので昔から陸であった。

 広大な仙台平野に目を移した。春のうららという表現がよく似合う日であった。この日は花見には少し早かったが、観光ルートにない塩竃の歴史に触れることができて有意義な小旅であった。歴史に彩られつつ、活気に溢れた港町塩竃。私はそんな春の好日に感謝し、知人とともに心地良い余韻に浸りながら帰路に着いた。

塩竃シリーズ           
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