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 港町の栄華を象徴する豪商ゆかりの大正ロマン
 今回も前回に続き塩竈(塩釜)の散策を紹介する。私と知人は塩竈第一小学校から坂を降り、この鳥居をくぐって塩竈神社方面(北側)へと向った。気温は13度ほどで、もはや寒さは感じない。日増しに増えつつある木々の緑と港町特有の海風が心地良い。

鳥居をくぐって小高い丘の麓に行くとこんな碑が立っていた。なんとこの場所に芭蕉が泊ったというのだ。しかし大変残念ながら今となっては往時を偲ぶものはほとんどない。今は想像の中で彼の行脚を偲ぶのみである。
芭蕉の碑を左に折れて階段を登ると間もなくこんな格式のある門に出くわした。旧亀井邸である。ここで読者の皆様をご案内する前に、この建物は3年前の2010年5月16日に書庫の「大正ロマン」に一度掲載済みであることを最初にお断りしておく。今回あえて二度目の掲載に踏み切ったのは震災による休館のブランクがあったので同館の再開を記念する意味である。
 
屋根は銅板葺きで如何にも格式のある建物の門という感じがする。

ヤフー航空写真の直貼り画像で位置を確認して頂きたい。赤で囲んだ建物が旧亀井邸である。旧亀井邸から見て北西側が塩竈神社である。

門をくぐると目の前に日本庭園が開ける。石灯篭、松を主体とした植木、庭石が外連味のなさを感じさせる。この手の建物に日本庭園の趣は欠かせない。

もちろんメンテナンスがあってのものだろうが、大正ロマンの建物で今どきこれだけ往時のコンディションを保っているのは非常に珍しく、貴重である。

一階の窓には鉄格子がついているがこれは防犯の目的と思われる。

 玄関の和風屋根とその背景二階の回廊の硝子窓の格子のデザインに注目して欲しい、まるであみだくじのような模様である。西洋風の二階の窓は和洋折衷でもあり、コストを度外視して遊びの心を重視するのも大正ロマンの特徴とも言える。

 玄関に入ると床にご覧のような模様のタイルが貼ってある。ガイドのかたに聞いたところ、欧州舶来の品とのことで、色にしても模様にしてもデザイナーの強いこだわりが感じられる。このタイルはおそらくコストだけでなく納期もかかったのではないだろうか?
 
 この建物は建材を吟味して相当の手間暇をかけて作っという感じがする。後に完成までに二年を要したことを知ることになるが、その理由が少しわかったような気がする。

玄関の天井も凝ったデザインとなっている。また照明器具もこのデザインにあったものが選択されている。廻り縁の断面がS字型となっているが、非常に手間がかかっている印象を受ける。

一階の座敷は手前が十畳、向う側が八畳である。写真には写っていないが右側には仏壇と神棚がある。

これは電話を置くスペースと推測される。声が他に漏れるのを防ぐ目的でこのような形になった思われる。

下記の説明文より、亀井氏(現商社、㈱カメイ(東証一部上場企業)創業者)がここに住んだのは昭和元年~同56年ころと思われる。

三代目、亀井文蔵氏肖像写真、氏は塩竈市名誉市民であるが今は故人である。

二階に上がってみた。T字型の両方向階段だがこれも非常に凝ったものという印象を受けた。

窓越しに海の方角を望んでみた。今でこそビルの陰になって見えないが、建設間もないころはおそらく船がひしめく湊が見えたことだろう。

説明書きはなかったが、経験上これは古民家で言えば「でい」(主人が休んだ部屋)に当たる部分と思われる。この部屋は北東側ということで窓を開ければ早朝から船のエンジン音が聞こえたのだろう。旦那はこの部屋で毎日そんな心地の良い朝を迎えたのではないだろうか?

内外部とも欄間がつくという豪華さである。それだけに二階の障子を開け放った時の解放感が素晴らしい。またこの時代の古い硝子特有の屈曲した外の眺めが面白い。

時刻は12時を回った。本塩釜近くの寿司店に知人と食事に行った。
店の名は「寿司処塩竈」である。

海鮮定食を注文した。新鮮な海の幸を楽しんだ。味噌汁はアラ汁でダシが効いてなかなか美味かった。
次回は容量の関係で紹介できなかった「昭和初期の塩竈の町の模型」をお伝えする予定である。
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