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赤城神社の近くの質素な山小屋での新妻との生活
 もし、私が「春から初夏にかけて読むのに相応しい小説はありますか?」と人に聞かれたら迷わずにこの作品を勧めるだろう。志賀直哉大正9年発表の「焚火」である。
 
 中央大学製作のビデオ知の回廊「志賀直哉 対立から調和への道程」は今年の元日にも、本ブログで紹介しているが、赤城山関連の画像は12分過ぎあたりから登場する。宜しければご覧頂きたい。

知の回廊 第60回『志賀直哉 対立から調和への道程』
 作品の紹介に入る前にこの作品が作られた当時の直哉の置かれた状況を説明したい。舞台は大正4年(直哉32歳)の上州(群馬県)赤城山である。前の年、大正3年12月、親の反対を押し切って武者小路実篤の従妹、勘解由小路康子(かでのこうじさだこ)と結婚した志賀直哉は京都に住む(父の結婚反対によって別居)が、父と直哉との折り合いが悪いのを苦に康子が神経衰弱になる。
 
 そして鎌倉の叔父直方の家の隣に移り住んだが、たった一週間でこの地を後にする。直哉は康子をストレスから解放してやりたかった。5月1日に母方の祖母が亡くなったがこれには参列せずに、人里離れた上州赤城山に向った。この時直哉は馬を借り、妻と若干の荷物を馬に乗せ、馬子と一緒に三人で七里(約28キロ)の道を歩いた。この時山には雪が残っていたという。
 
※新妻の康子を馬に乗せ馬子とともに赤城山へ向う直哉(ミック想像図)

※豊かな水を湛える赤城大沼とこれを抱くようにそびえる赤城山

 この時直哉夫妻は最初、猪谷旅館に泊ったが、夏場は客で混雑すると聞いて、宿主のKさんから近くに山小屋を建ててもらい、九月半ばまで住んだ。この山小屋には電気もなく、夫妻は夜はランプの灯で生活した。

                志賀直哉「焚火」粗筋
※大正4年5月5日、最初に泊った宿の猪屋旅館の宿主のKさんは猪谷六合雄(日本スキー界の草分けの一人)がモデルである。その息子の千春は後にオリンピック選手になる。
 
 直哉夫妻は、ある日Kさんと画家のSさん(小林真二)と一緒に夜の赤城大沼にボートを漕ぎ出す。静かな晩で星空が湖水に映っていた。小鳥島に焚火が見え、四人も別の岸で焚火を始めた。そこで蛇や山犬、「大入道」などの話をした後、Kさんから不思議な話を聞く。前の年の冬、東京の姉の病気を見舞っての帰り、深い雪を踏み分けて鳥居峠を越えたことがあった。
 
 Kさんは体力には自信があり、雪にも慣れていた。月明かりで峠もすぐそこに見えていた。ところが、その手の届きそうな距離が容易でなかった。恐怖は感じなかったが、気持ちが少しぼんやりして来た。ようやく峠を越えた時に、提灯の明かりが見えた。Kさんの呼ぶ声を寝耳に聴いた母が迎えをよこしたのだった。彼の帰る日は未定だったし、呼んだとしても聞こえる距離ではなかった。「夢のお告げ」を母が聴いたのは、彼が一番弱っている時だった。
 
 直哉はそんな不思議なことが起こったのはKさん思いの母、そして母思いのKさんの関係があればこそのことだろうと思った。そしてこのノンフィクションドラマはKさんのこの不思議な体験とともに感動的なエンディングを迎える。
 
 この小説には古美術、或いは水彩画、墨絵のような趣があると言われる。有名な結びの部分を紹介しよう。Kさんが勢いよく燃え残りの薪を湖水へ遠く抛(ほう)った。薪は赤い火の粉を散らしながら飛んで行った。それが、水に映って、水の中でも赤い火の粉を散らした薪が飛んで行く。上と下と、同じ弧を描いて水面で結びつくと同時に、ジュッと消えてしまう。そしてあたりが暗くなる。それが面白かった。中略、舟に乗った。蕨取りの焚火はもう消えかかって居た。舟は小鳥島(ことりじま)を廻って、神社の森の方へ静かに滑って行った。梟の声が段々遠くなった。
         
        ※Kさん、Sさんとともに湖畔で焚火をする直哉夫妻(ミック想像図)

               読後感想byミック
 このエンディングの表現は暗夜行路の尾道の千光寺からの描写や鳥取の大山の描写にも引けを取らないほど素晴らしく、谷川徹三(直哉と親交のあった哲学者)は「焚火」は、その気品と冴えに於いて芭蕉に肉薄している。」と評した。また芥川龍之介も最も純粋で詩的な作品の例としてこの作品を挙げた。
 
 井上ひさしは志賀直哉のことを「なんの変哲もない言葉を使っているようで、実はそれしかないという言葉で、目に見えるように書く天才」と賞めた。
 
 直哉の末弟子である阿川弘之は「志賀直哉の文章は絵で言えば墨絵であり、削って、削って、削って空白の部分をたくさん残して生き生きさせる」と表現している。美しい文章は形容詞で飾るだけが能でない。この削り(言葉を変えれば「はしょり」:端折り)の美学が、散文の極致とされる志賀文学の素晴らしさでないだろうか?
 
 ここからはストーリーにはない裏話である。阿川弘之氏はこの四ヶ月の赤城山滞在で康子の神経衰弱が治ったと伝えている。後に子供が出来て大所帯になってからは亭主関白の代名詞にも見られる直哉だが、一方では新婚当初から妻を深く愛しており、往時の直哉の新妻へのひたむきな愛が彼女を救ったという見方もありなのではないだろうか?また転地療養でこのような名作を遺すのは「城の崎にて」が作られた過程とも酷似している。
 
KR500レプリカの部屋の志賀直哉シリーズ
※志賀直哉生前インタビューhttp://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/31385305.html
※志賀直哉生誕130周年を偲ぶ旅http://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/31505557.html
※志賀直哉生涯23回の引越しの謎http://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/31434256.html
※志賀直哉東京麻布邸へのリンクhttp://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/31458035.html
※志賀直哉「早春の旅」へのリンクhttp://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/31540382.html
※志賀直哉「自転車」へのリンクhttp://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/31319728.html 
※志賀直哉「城の崎にて」へのリンクhttp://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/28846600.html
※志賀直哉「和解」へのリンクhttp://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/29210086.html
※志賀直哉「暗夜行路」へのリンクhttp://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/30025253.html
※志賀直哉「小僧の神様」へのリンクhttp://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/30176213.html
※志賀直哉「清兵衛と瓢箪」へリンクhttp://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/30989155.html
※志賀直哉「山形」へのリンクhttp://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/31212264.html
※志賀直哉「大津順吉」へのリンクhttp://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/31299760.html
※志賀直哉「万歴赤絵」へのリンクhttp://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/31581965.html
※志賀直哉「雪の日」へのリンクhttp://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/31319728.html
 
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