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  宮城の米処鹿島台を訪ねて
早春の日差しに誘われて旅に出た。行く先は宮城の米処でもあり大崎平野のど真ん中鹿島台である。※地図で鹿島台の場所を確認して頂きたい。画面の中央の+印が鹿島台である。
詳しい地図で見る
 私はきょうの早い時間、まるで遠足に出発する子供のように胸をときめかせながらJR東北本線仙台駅発小牛田行きの下り電車に乗り込んだ。仙台~東仙台駅間は住宅地を走るが、東仙台駅を過ぎて2~3分走ると広大な仙台平野が見えてくる。ここは直線なのでスピードが乗る。おそらく90キロは出ているだろう。ここは七北川に架かる陸橋だが、偶然にも写真に東京からの距離(360キロ)を捉えることができた。

鉄道唱歌の如く近くに見える屋敷や畑の景色は一瞬にして飛び、遠くの山が追いかけてくる。


塩釜~松島間では一瞬であるが海も見える。浜辺に係留された小舟が新鮮であり、旅情を一層掻き立ててくれる。

松島付近は長いトンネルもあり、いかにも内陸を走っている感じがする。同じ松島でも仙石線のそれとはあきらかに趣を異にする。常緑樹や竹林の醸しだす深緑色、まだ花の咲かない山桜の紫色、枯れ草の黄色がかった色彩…、山や野の微妙な色づき加減は極めて複雑な変化に富んでおり車中の私の気分を高揚させた

 山々を源とするこの豊かな水の恵みがこの大規模な稲作を可能にする。品井沼近辺は胸のすくような広大な大崎平野の大パノラマが展開される。遠くには船形や栗駒の秀峰が雪を抱き宮城の米処を見守る。

農家を見守る屋敷林、これこそ子孫を思う先祖の優しい気持ちの表れではないだろうか?

40分弱で鹿島台駅に到着。早春の旅に相応しく天気は上々である。

鹿島台駅の名前の由来である。平安時代から続く歴史の意味は極めて深い。
この地の由緒を感じさせるものである。

プラットホームから駅舎を望んでみた。早春のローカルな雰囲気がとてもいい。気分はこの上もなく愉快である。

鹿島台の駅前にはこのような由緒ある建物があった。かつては料亭だったのだろうか?
門には家紋が入っていた。

古いものだけではない。駅前にはこのような居酒屋もあった。

この後知人の案内で鹿島台を見下ろす小高い丘へと向った。桜の開花にはまだ早いがポジティブに考えれば平野への視界が効いて却って良かったのかも知れない。こちらの方向は石巻方面である。

この後知人と腹ごしらえをすることにした。向ったのは駅の近くにあるショッピングモールの一画「銀座とんかつ亀屋」である。

この日は我々が一番乗りだった。外への視界も効き、なかなか快適な空間である。

ロースかつ海老フライ定食¥1150、ボリューム満点でありロースもやわらかくレベルの高い、満足のいく食事であった。

この後近くの鎌田記念ホールに向った。建物は最近できたらしく比較的新しく小奇麗である。

                         鎌田三之助(通称、わらじ村長)1863~1950

                  ※以下Wikipediaより引用
 1863年(文久3年)陸奥国志田郡木間塚村竹谷(現在の宮城県大崎市)に鎌田三治の次男として生まれる。生家の鎌田家は、仙台藩士の流れを汲む家で鳴瀬川に沿った大地主の家柄であり、祖父玄光、父三治とも地元の治水事業に生涯を傾けた。1878年(明治11年)政治家を志し上京し、漢学塾や明治法律学校で学ぶ。郷里に戻り農業に従事しながら木間塚に青年教育の場として大成館を設立し夜学で教える。
                       ※鎌田三之助生家

 1894年(明治27年)志田郡会議員を経て、32歳で宮城県会議員に当選する。1902年(明治35年)第7回衆議院議員総選挙に立候補し当選、2期務める。その後、移民事業を起こし1906年(明治39年)メキシコに渡るが、品井沼排水工事をめぐり工事推進派と中止派に住民を二分する対立が起きたため事態収拾のため帰国を余儀なくされた。
 
 1909年(明治42年)鹿島台村長に就任し、10期38年に及び村長職にあって井沼干拓事業に尽力した。村長としては、村財政の建て直しにも努力し、村長在任中、無報酬(旅費を含む)を一貫して通した。粗末な身なりでわらじを履いて村内を巡回したため、村民から「わらじ村長」と呼ばれ親しまれた。
 
 戦後の1946年(昭和21年)公職追放となり、村長を辞任する。1950年(昭和25年)5月3日死去。87歳。大崎市鹿島台町には、鎌田の事跡を記念して、鎌田記念ホールが建設され、ホール内には記念展示室が設けられている。
 
            ※展示室入口(内部は撮影禁止)

 一度は国会議員になりながらも郷里の村長になった三之助、これは母親の「村を救えるのはあなたしかいない。」の一言によるものだったという。
 
 私財を投げ打って郷里鹿島台のために尽くした一生。ここで私は自問自答してみた。果たして誰しもが煩悩という名の金や権力を絶ち切り、このような人生を送れるだろうか?そこに彼の稀なる俗人離れした人物像が存在するのではないだろうか?
 
 帰路に着こうとする私に一瞬天国からの彼の気さくなずうずう弁が聞こえたような気がした。「よう、おらほの米どころさまだ来てけさい。
」(ねえ、我らの米処にまた来てください。)

私は在りし日の翁の志を尊く思、早春の鹿島台を後にした。
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