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   石巻の復活を実感する
先週、彼岸の墓参りを兼ねて郷里石巻に行った。往路はJR仙石線である。赤ラインの入っている電車は快速である。

仙石線は依然として全線開通していないので松島海岸~矢本まではJR代行バスで行くことになるが、前回行ったときに比べ、新たに松島海岸~高城、陸前小野~矢本の区間が復旧し、不通の区間が以前よりかなり狭まってきた

ここは航空自衛隊の基地のある矢本である。矢本から再び列車に乗る。以前と比べて利用者が大幅に増えたのを実感した。

この列車はディーゼル車である。少しでも早く元通りの電車に切り替わって欲しいものである。

石巻に到着、左のサングラス姿は仮面ライダーやサイボーグ009の生みの親、故石森章太郎氏の自画像である。石森氏は宮城県北部の中田町出身で、少年時代は石巻市の仲瀬(中州にできた島)の映画館「岡田座」に2時間半をかけて自転車で足を運ぶほど映画好きの少年だった。偉大な漫画家にこんなことを言っては失礼になるかも知れないが、私も少年時代は映画好きだっただけに非常に親近感を覚えるような存在という気がする。
仮面ライダーやサイボーグ009は今見てもけして古さを感じさせない。このキャラを見た多くの少年少女は目を輝かせる。この辺が石森ワールドの素晴らしさではないだろうか?

半円形の駅舎の欄間はステンドグラスになっており、それにもサイボーグ達の姿が見られる。私が石巻に住んでいた小学校低学年代に読んだ漫画本(確か少年サンデー、定価¥60~¥70)には既にこのサイボーグ009が連載されていた。こうしてみると彼は宮城県民にとっても誇れる存在のような気がする。

墓地に向かう途中、石巻の目抜き通り立町を通ってみた。前回訪ねた時よりも営業を再開した店が増えていた。ようやく「復興」という文字が机上のものでなく形になってきた感がある。

ここは津波で多くのものを失った門脇(かどのわき)地区だが、石巻のシンボルともいえる製紙工場の煙突から煙が出ていた。この操業再開が市民に与える影響は非常に大きいのではないだろうか?2年半ぶりに見たこの煙が私のモチベーションを無意識のうちにアップしてくれた。

墓参りを終えた後、北上川の川べりのモニュメントが私の目に止まった。
一見すると殺風景となった空き地になにか絵画のようなものが飾られているようだが…。

これは膨大な数のタイルによるモザイクアートである。皆さんはこれがなんであると思われるだろうか?抽象画?のようにも見えるが…、最初見た時は私にも全くわからなかった。??

タネを明かそう、これは仲瀬のモザイクアートである。この写真は震災前の2010春に撮影したものであるが微妙な構図の輪郭(北上川と仲瀬の織りなす形状)の共通点がわかって頂けると思う。

 自信がないので読者諸兄にご教授頂きたい。この絵は確か19世紀後半のロンドンを描いた名画「ハイドパークの休日」でないだろうか?
 
 このタイルモザイクの作品はフランスのジョルジュ・スーラの『グランド・ジャット島の日曜日の午後』である。ボートを漕ぐ人、芝の上に寝転ぶ人、夫婦で散歩する人…セーヌ川の中洲に出来た島で日曜日の午後にフランス人の紳士淑女が思い思いにくつろぐ河畔は緑に彩られ、見ていて非常に癒される。何を隠そう、この絵は西洋絵画の中で私が最も好きな絵画であり、この場で目にするとは夢にも思わなかった絵である。

この後、旧北上川河口を上流へと向った私は仲瀬の石森章太郎漫画館を横目に見た。大きな被害を受け、二年間の休業を余儀なくされた同館であったが復旧工事が順調に進み再開が目の前に迫ったことを伺わせた。

西内海橋の欄干を見て欲しい、津波でいまわしいほどぐにゃぐにゃに曲がった橋の欄干がこのように真っすぐになって私の目の前に現れた。これは石巻人としては感無量と言えるものではないだろうか?ちなみに同漫画館は予定通り3月23日(日)のおととい再オープンした。

このあとは最近TVで見た「絆の道」に訪れた。

一階は石巻日々新聞の昔の写真etcが掲示されていた。ここで郷土史研究の大御所である「奥州仙臺石巻湊千石船の会」の会長さんと対面を果たし、話が弾んだ。古き良き時代の石巻、藩政時代の石巻と、志賀直哉生家にまつわる話…あっという間に30分が過ぎた。

同社の捉えた写真を二枚掲載する。これは毎年8月初めに開催される石巻の「川開き」である。0歳~3歳はさすがに覚えていないが、6歳~7歳歳のことは今でも鮮明に覚えている。実家の横町で見た豪荘な花火、様々な人々の熱き思い、遠洋漁業で栄えた港町石巻という町の存在の意義…。

私にはあまり記憶がないのだが、北上川河口の都市ということで数年に一度はこのような水害もあったのだろう。

私はこの後二階に行ってみた。懐かしいサッカーゲームがなかなかお洒落である。

ウイスキーのダブル(ロック)を飲んで少しトリップ
してしまった。私は石巻を心から愛している。きょうは震災により一度封印しかけた過去の石巻を顧みるのには絶好の機会となった。またこの場所も復興を祝すにはピッタリの場所である。普段滅多に飲まない昼酒
という媒介がこの日の私を古き良き時代の石巻という名のタイムトンネル
に導いてくれたのかも知れない。

この後、志賀直哉生家跡他にも足を運んだが猛烈に腹が減ってきた。私はこの日の締めはこの中国飯店でと思った。中国飯店「萬里」(石巻東側)

既に2時半を過ぎていたが萬里は開いていた。

さすがにこの日は腹が減った。今回だけはこの消耗した分を補給したかった。そんな私がオ―ダ―したのは揚げ焼きそば(¥700)であった。

私は郷里石巻の復興への足跡と強い治癒力を頼もしく感じ、萬里を後にした。
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