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 砂鉄が取れる場所から七里以内、薪の取れる場所まで三里以内とは?
 巨岩のあったところから目的地の筆甫(ひっぽ)までは10キロ少し、だがこの10キロの距離こそが筆甫を秘境の地と言わしめているような気がする。というのはこの区間の道路沿いに民家がほとんどないからである。これは巨岩から500メートルほど南に行った辺りの砂防ダムである。あの河原のごろごろした巨石からしても、この辺りの急流の川は大雨が降ると土石流が出るのを容易に想像し得るものである。

ご覧のように道は所々で細くなり車同士が擦れ違えないところがかなりある。こんなときでもバイクなら全く不安はない。

このコンクリートの橋は大雨の時は冠水するのを最初から見越して設計したものと思われる。これなら土石流の巨石がぶつかっても心配ないだろう。橋の設計一つとっても秘境ぶりを感じる。

さっきから秘境、秘境とばかり言っているが論より証拠、この航空写真を見て頂きたい。この辺りは阿武隈山地の山が数列に渡って南北に走っており、非常に山が深いのを確認できる。
山奥に居るといっても言い過ぎでない。

 13時半、ようやく筆甫についた。この辺りは里と言ってもよくご覧のようにまばらではあるが人家が点在する。
 
 この辺で筆甫に来た理由をお話しよう。実は筆甫には藩政時代、製鉄所があったというのだ。
私がこの情報を知り得たのは今年の2月16日、仙台市博物館で受講した仙台市民セミナーの「戦国時代後期の伊達と相馬-伊具、宇多をめぐる輝宗・政宗と相馬の相克-」を受けた際、講師の東北福祉大岡田教授の言葉であった。
 
 この時、岡田教授は宇多周辺の海岸(新地~現山元町)で良質な砂鉄が取れ、それを丸森の筆甫に運んで製鉄し、年貢として納めた。」と語っている。この筆甫の製鉄所を自分の目で確かめるために私はこの地を冒険の目的地に定めたのである。

製鉄所の位置がわからなくて人に聞きようにも人がほとんどいない;この寺で檀家らしき人をようやく見つけほっとする。その人に聞いてようやく「たたら製鉄」と「マリア観音」の位置が判明した。それにしても静かな寺の境内であった。
ここがそうらしい。予想はしていたがかなりローカルである。

航空写真で位置を確認して頂こう。黄色○:たたら製鉄、赤○:マリア観音像

なんと史跡の前には畑が広がっているばかり。おそらく私有地なのだろう。

このたたら製鉄は最近作られた施設で史跡とは違う。主旨を調べると往時の製鉄技術を偲んで最近作られたものであることが判明。

一見炉のような形をした円柱状の鉄板の中には砂(おそらく砂鉄を含んだものと推測)が盛られており、筒の芯の部分には木の束が入っていた。

これは炉のそばにあったものである。すっかりドーナッツ状になっている。芯の部分の木材が燃え尽きるとおそらくこうなるのではないだろうか?

これが成果物の鉄(純度は疑問)では?と私は思った。

これはたたら製鉄のすぐそばにある阿弥陀仏堂である。ここで疑問に思われるかたも多いだろう。マリア観音と阿弥陀仏堂は一体どんな関係があるのか?

この祠というか石碑を見てもらいたい。これは阿弥陀仏堂の中に入っているものをごまかすためのもののように感じた。これは阿弥陀仏堂の中には何が入っているのだろう?

 阿弥陀仏堂の中に祀ってあるのはマリア観音像、阿弥陀仏堂はキリシタン偽装のものなのだろう。それとなんとこの地をキリシタン武士が支配していたというのだ。県の北部では見かけるが南部でもこんな場所があったとは!また彼は製鉄技術を村人に教えていたようでもある。
 
 キリシタンは仙台藩から保護され迫害は受けなかったようだが、一度は洗礼した夫人とともに捕えられたようだ。彼は南蛮から入った製鉄技術を住民に広めるという橋渡しの役を演じようとしたのではだろうか?

宇多で取れた砂鉄を筆甫に運んで製鉄する。でもなぜこんな離れた山奥に?とも思われるが…、ここで私はセミナーの岡田教授の言葉(メモしておいた)を思い出した。それは製鉄の場所を定める時は①砂鉄が取れる場所から七里以内、②薪が取れる場所は三里以内が理想といった言葉であった筆甫はこれを満たした地であったのだ。

2時も過ぎ、これでこの日の目的は達したことになる。私は帰路につくことにした。

しかし帰路に於いて伊達と相馬の攻防のポイントとも言える場所に立ち寄ることになる。この時私は知る由もなかった。「宮城県最南端の冒険」シリーズ、次回の最終回ではその拠点にスポットを当てることにする。
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