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     武者小路実篤の持つ向日性とは?
 「単なる同調だけでなく、切磋琢磨しつつ相手を慈しむ友達関係」、もし真の友情のありかたを問われた時、また親友というものが本当に美しいというのならまさにこのような関係を言うのではないだろうか?武者小路実篤と志賀直哉は生涯を通じて無二の親友であったというが、きょうはこの二人の友情のあり方についてスポットを当ててみることにする。その前に実篤の残した絵画と詩をご覧頂きたい。
 
天に星、地に花、人に愛この言葉は私が彼からもっとも感銘を受けた言葉で、私が最も美しいと思う言葉でもあり人間賛歌とも受け取れるような人類愛を感じる詩である。

※「人生は楽ではない。そこが面白いとしておく。…これは彼の人生観を如実に表した言葉なのかも知れない。

※「雨が降ったそれもいいだろう本が読める」…これは私も全く同感である。(笑)

 二人が出会ったのは学習院中等時代の明治35年。そのころの志賀直哉は性格的に神経質でなにかギスギスしたものがあった。直哉は2学年落第した19歳の時に17歳の実篤と同級になった。彼らは若き熱血漢同志で、議論好き、文学好きという共通点もあり話がよくあった。二人は時として激しく衝突したがやがて仲良くなって交流するようになる。そして直哉は実篤が自分にない「向日性」を持っていることに気づく。
 
 「向日性」とはあまり聞きなれない言葉だが辞書で調べると植物の茎などが太陽光線の強い方へ向かって屈曲する性質とある。人にこのような形容詞を使う場合、「陽気な」とか「明るい」というような意味に解釈して構わないのだろうが、私は直哉の意図を推し図り、」あえて楽天的なという意味にも捉えたいと思う。
 
 それでは武者小路実篤の向日性は一体どんなところに現れているのだろう?二人の言葉をいろいろと探っているうちに奇しくも二人が喜寿(七十七歳)を迎えた時に語った言葉が私の目に止まった。それは興味深いことに一見すると似たようなものでもあり、一方で全文を読んで大意を理解すると主義、思考の違いを顕著に感じるものでもある。
 
           ※志賀直哉「枇杷(びわ)の花ナイルの水の一滴」より 
 
 人間が出来て、何千年になるか知らないが、その間に数えきれない人間が生まれ、生き、死んで行った。私もその一人として生まれ、今生きているのだが、譬えていえば悠々流れるナイルの水の一滴のようなもので、その一滴は後にも前にもこの私だけで、何万年遡っても私はいず、何万年経っても生まれては来ないのだ。しかも尚その私は依然として大河の水の一滴に過ぎない。それで差し支えないのだ。

                          
               ※武者小路実篤「喜寿の言葉」より
 
 この地上には何百億という人が生まれ、生き、そして死んでいったがしかし僕と同一の人間は僕一人で足りる。僕一人はあってもなくっても他人に対しては大した問題はないと思うが、僕にとっては唯一の人間であり、僕を愛し得る人間にとってはともかく愛すべき人間だ。その僕がいかに自然が作ったものを愛したかまたその愛したものを書くことで自分を生かし得たかそれを知って喜んで下さるかたが存外多いのではないか僕には思えるのだ。確かに僕はおめでたき人間らしい。

 この二つの文を見ると途中の自分は無二のものというところまでは言葉は若干違うものの意味はほぼ同じだが、それ以降が大きく違ってくる。
 
 直哉の「その一滴は後にも前にもこの私だけで、何万年遡っても私はいず、何万年経っても生まれては来ない…それで差し支えないのだ。」という部分には無神論者としての彼の主張を感じるが、一方実篤の言葉では「僕にとっては唯一の人間であり、僕を愛し得る人間にとってはともかく愛すべき人間だ。その僕がいかに自然が作ったものを愛したかまたその愛したものを書くことで…喜んで下さるかたが存外多いのではないか…確かに僕はおめでたき人間らしい。」という部分には自己愛とともに先に述べた「向日性」を大いに感じる。
 
 直哉は実篤に対し陽気や明るいを通り越し、自分にはないもの(楽天性、呑気さ)を感じたのではないだろうか?直哉の内向性とは対照的な実篤の向日性の人生観そして人間愛。二人はお互いに自分にないものを認め、固い信頼関係で結ばれていた。
 

 昭和15年11月15日に実篤が直哉に宛てた手紙をご覧頂きたい。
 
直哉兄
この世に生きて君と会い君と一緒に仕事した
君も僕も独立人
自分の書きたい事を書いて来た
何年たっても君は君僕は僕
よき友達持って正直にものを言う
実にたのしい二人は友達

 また実篤の言葉にはこれ以外にも直哉との友情を示したと取れる極めて印象深い言葉が登場する。「友情の価値は両方が独立性を傷つけずにつきあえるという点にあるのだ。」(武者小路実篤、人生論より)。単なる友達関係ならこんな手紙を書かないだろう。これらは直哉に対する絶大な信頼を感ずる言葉である。
 
 次に武者小路実篤全集発刊によせた直哉の推薦文の一部を紹介する。
 
 武者(武者小路)と私は随分違った性質もあり、こまごました点では寧ろ反対なことが多いが、会って、一番心に近く感じ、別れて後まで愉しい気持を残してくれるのはやはり武者小路である。武者の方が二つ年下であるが、私は今日まで武者からいろいろよき影響を受けている。

 唯、違った性質は互いにはっきり分かっていて、そういう事ではけっして
干渉し合わないが、私は芸術の上でも武者からよきものを摂取してきたと感じている。
和不同(わしてどうぜず)、--これは書を頼まれた時、武者が好んで書く言葉だが、二人の間ではこの言葉が理想的に行っている事を私は誇りとしている。
 

※まさに二人の友情を彷彿させる絵「仲よきことは美しき哉」これは結婚の時頂いた物で私が最も大切にしている食器である。

 このように二人は無二の親友であった二人の生涯を通しての手紙のやり取りは数百には足らず数千にも及んだ。そしてこの関係は昭和46年に直哉が死ぬまで続いた。
 
※志賀直哉が37歳の時、親友武者小路実篤にあてた手紙の一部。実篤に頻繁に手紙を出していたことがわかる。(手紙の内容を知りたい方は写真を拡大してご覧ください。)

 最後に「卯年にちなんで」と称しての78歳とはとても思えない実篤のジャンプを紹介する。かつて自分のことを亀に比喩したこともある彼であるが、意外にも軽やかな跳躍を見せ、いまだ衰えぬ足腰を披露した。彼の実年齢を超越した元気さと向日性がよく現れたシーンである。

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